4月に、母が亡くなりました。
入院先から、呼び出しが来たその夜、
すでに意識がなかった母の命が、終わりを迎えました。
🌟 🌟 🌟
亡くなる数日前から、
いつ、容体が急変してもおかしくないということを、
看護師さんから聞いていたので、覚悟はできていましたが、
医師から臨終を告げられると、
‶ 母の人生は、本当に終わってしまったんだな…”
実感と空虚感が一気に…。
ひどく苦しんだというのはなく、
いつ、心臓が止まったのかわからないくらい、静かな最期でした。
🌟 🌟 🌟
約1年7か月、寝たきりで、24時間点滴の毎日。
(つらかっただろうな…)
入院前、
私の家で母をみるという提案が、事情によりかなわなかったのは、
母に申しわけなく、それだけが心残りです。
(お母さん、ごめんね…)
🌟 🌟 🌟
葬儀は、一日葬で、家族・親類だけで見送ることに。
菩提寺の住職さんに、すてきな戒名を付けていただきました。
母のことをよく知る住職さんだからこその戒名で、
私たち娘三人とも、ウルッ
心を込めてお経をあげて下さり、感謝です。
🌟 🌟 🌟
母は、
真面目で控えめ、
お嬢さん育ちだったせいか、世間ずれしているところがありましたが、
芯の強い人でした。
寝たきりになった姑の介護に始まり、
(介護サービスなんて無かった時代だから、本当に大変 ! !)
私の妹(病気)、自分の夫(胃ガン)、別居して実家に戻った三女の子ども…
人の世話ばかりしてきた人で、
しんどかったことが多かったでしょうが、
本当によくやっていました。
🌟 🌟 🌟
私と母の関係は、それほど濃くはなかったと思います。
大人になってから、母に何かしてもらったことは、ほぼなく、
結婚して家を出てからは、顔を合わせることも少なかったし、
母にとって、私の存在は、
‶ 困ったことが起きた時に頼りにするもの ”
という認識でしかなかったのかな…と思っていました。
ただ、
乳ガンになったことを母に伝えてから手術までの間、
私の様子を電話で聞いてくるとか、無かったので、
‶ ガンという恐い病気になったのに、心配していないのかな…”
と思っていたら、
手術の数日前、母から見舞いの手紙が届きました。
「がんと聞いた時にお母さんが代わってやりたいと思いましたが
どうする事も出来なくて、ごめんなさい」
「洗濯その他の事で無理だと思ったらすぐ連絡して下さい」
この時、初めて ‶ 母親の気持ち” にふれたような気がしました。
大切な手紙です。
🌟 🌟 🌟
お棺の中の母の顔は、
やっと苦しみから解放され、すっきりした表情をしていて、きれい。
お棺いっぱい、花で埋め尽くして、母を見送りました。
本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでね…