4月に、母が亡くなりました。

 

 

入院先から、呼び出しが来たその夜、

すでに意識がなかった母の命が、終わりを迎えました。

 

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亡くなる数日前から、

いつ、容体が急変してもおかしくないということを、

看護師さんから聞いていたので、覚悟はできていましたが、

医師から臨終を告げられると、

 

‶ 母の人生は、本当に終わってしまったんだな…”

 

実感と空虚感が一気に…。

 

ひどく苦しんだというのはなく、

いつ、心臓が止まったのかわからないくらい、静かな最期でした。

 

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約1年7か月、寝たきりで、24時間点滴の毎日。

(つらかっただろうな…)

 

入院前、

私の家で母をみるという提案が、事情によりかなわなかったのは、

母に申しわけなく、それだけが心残りです。

(お母さん、ごめんね…)

 

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葬儀は、一日葬で、家族・親類だけで見送ることに。

 

菩提寺の住職さんに、すてきな戒名を付けていただきました。

母のことをよく知る住職さんだからこその戒名で、

私たち娘三人とも、ウルッ泣

 

心を込めてお経をあげて下さり、感謝です。

 

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母は、

真面目で控えめ、

お嬢さん育ちだったせいか、世間ずれしているところがありましたが、

芯の強い人でした。

 

寝たきりになった姑の介護に始まり、

(介護サービスなんて無かった時代だから、本当に大変 ! !)

私の妹(病気)、自分の夫(胃ガン)、別居して実家に戻った三女の子ども…

 

人の世話ばかりしてきた人で、

しんどかったことが多かったでしょうが、

本当によくやっていました。

 

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私と母の関係は、それほど濃くはなかったと思います。

 

大人になってから、母に何かしてもらったことは、ほぼなく、

結婚して家を出てからは、顔を合わせることも少なかったし、

母にとって、私の存在は、

‶ 困ったことが起きた時に頼りにするもの ”

という認識でしかなかったのかな…と思っていました。

 

ただ、

 

乳ガンになったことを母に伝えてから手術までの間、

私の様子を電話で聞いてくるとか、無かったので、

‶ ガンという恐い病気になったのに、心配していないのかな…”

と思っていたら、

 

手術の数日前、母から見舞いの手紙が届きました。

「がんと聞いた時にお母さんが代わってやりたいと思いましたが

  どうする事も出来なくて、ごめんなさい」

洗濯その他の事で無理だと思ったらすぐ連絡して下さい」

 

この時、初めて ‶ 母親の気持ち” にふれたような気がしました。

 

大切な手紙です。

 

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お棺の中の母の顔は、

やっと苦しみから解放され、すっきりした表情をしていて、きれい。

 

お棺いっぱい、花で埋め尽くして、母を見送りました。

 

 

本当にお疲れさまでした。ゆっくり休んでね…