焦らずに、
投げ出さずに、
「どうせ」と言わずに、
コツコツ、少しずつ。
先日の記事で、
「怒っているのは、困っているから」
ということを、
『それでいい。』という書籍をもとに、
書きました。
今回は、その続き。
前回の引用箇所を、再掲させてください。
「怒りというのは、自分が「困った状況に置かれている」ことを示す感情。
怒りを感じるからこそ、
「自分の権利を侵害されているのではないか」
「自分が予定していたことが乱されるのではないか」
と気づくことができるのです。
怒りは、心の「痛覚」みたいなもの。
不快な感覚ではありますが、自分が何か困った・傷ついた状況に
置かれていることに気づかせてくれます。
(中略)
怒りは健康な感覚です。
引きずるかどうかはまた別の問題ですが、
反応として怒りを感じるのは、人間として正常なことです。」
(本書P68より)
(改行はブログの体裁に合わせたものです)
引用箇所の終盤にある、
「引きずるかどうかはまた別の問題」
ということは、
「怒っている」=「困っている」
という自動翻訳をかけることで、
「怒りを引きずらない」
||
「困りごとの解決に早めに着手する」
というふうに、解釈できるかもしれない、
と考えています。
「怒りを引きずらない」
||
「怒りの感情を自分の中で押し殺す」
「怒りの感情をなかったことにする」
という公式・解釈ではなく。
一つの感情にずっと留まり続ける状態は、
結構疲れることですよね。
先ほどのまでの話を振り返ると、
“怒り”に留まり続けることは、
“困った状態”に留まり続けるのと同義です。
もしかすると、
怒りの感情を自分の中で押し殺すことや、
怒りの感情をなかったことにすることは、
一つの感情に留まり続けていることと
言えるかもしれない、
と感じています。
困りごとのもつれを、
少しずつでもほどいていくことは、
少しずつ、であったとしても、
「変化」です。
その変化一つひとつを
自分で認めて、感じて、
また、ほどいていく。
焦らずに、
投げ出さずに、
「どうせ」と言わずに、
コツコツ、少しずつ。
たとえ小さな振れ幅であっても、
感情の動き・変化が、
自分を駆動させる原動力のように
思えるから。
きょうも、きょうとて、
コツコツ、コツコツ、です。
休憩をはさみながら、自分のペースで、コツコツ♡