自分で見に行っていますか? | 井上浩二の「現在(いま)を考える。」

自分で見に行っていますか?

「えぇっ、話違うじゃん!」とか、「思っていたのと全然違うじゃん」なんて思うことありません?私のこれまでの経験では、エジプトのピラミッドかなぁ。延々と続く砂漠の中に忽然とあるんじゃないかと想像していたのですが・・・行ってみると周りは見事な観光地、お土産屋さん。壮大な歴史を感じる場ではなかったことをよく覚えています。
それとはかなりスケールが違いますが、昨日もそんな体験が。TVで、この三連休の唯一の晴れ、伊豆で満開の河津桜を楽しめる絶好の機会!なんて報道されていたので、「そうだ、近所の公園の河津桜、見に行っていない」と思い出し行ってみたのですが・・・残念ながら見頃は終わっていました。

 

自分で見に行くことの大事さ
ま、こういう事ってよくありますよね。特に、ビジネスの現場では。ちょっと仕事のやり方を変えたり、新商品やサービスなんかを導入したりした時、当然のことながら現場の責任者やキーパーソンに「どう、上手く行ってる?」なんて聞きますよね。「いや、現場じゃ結構苦労しているみたいなんです」なんて言われることもある。これは放っておけない、と現場の方に直接聞いてみると、「いや、それは大袈裟。多少苦労することもありますが、全く問題ないですよ」みたいな返事をもらう事もしばしば。ま、上手く行っていれば良いのですけどね。
一方、「問題ありません」、「大丈夫です」、「上手く行っています」なんて言葉を鵜呑みにすると、時に後になって大変な事になることも。私は、これまで何度か痛い目に合っています。皆さんは、如何ですか?どうしてこんな事が起こるか考えてみると、まず
・相手を信用している/自分に上手く行くはずという油断がある
があるのかな。そして、
・報告する相手にも立場がある
事を考慮しないといけないという事もあるでしょうね。今はこんな状況だけど、数日の内には改善して上手く行っている状態に持って行ける、なんて自信があれば、「上手く行っている」とその場では報告する人もいますからね。でも、最も重要なポイントは、
・人それぞれに尺度がある
事かもしれませんね。「どう、上手く行ってる?」という聞き方がそもそも悪い。勿論、それだけじゃなく「問題は起こってない?」、「困っていない?」なんて質問もする。しかし、それでも「大丈夫です」、「困っていません」と帰ってくることがある。相手にとっては、「今までも苦労していたから、それと比較したら大したことない」とか、「今まで同様、自分たちで何とか出来る」なんて考えがあったりするのかもしれない。そして、その尺度に照らし合わせれば「問題なし」という評価になるのかな。それは、それで一理ですよね。しかし、企画していた側、仕掛けた側の「こういう状態を作る」という基準に照らし合わせると、問題ありという評価になる場合がある。このギャップを埋めるには・・・自分の目で確かめることが一番!しかし、それを怠ることがあるのが自分の甘さかな。他人を信じつつ、しかし自分の目でもちゃんと確認して確信する、そういう行動をいつもとれるようにならないとですね。

 

さて、近所の大崎公園の河津桜ですが、大分散ってはいるものの、この時期の桜鑑賞としては十分。「満開の」という行ではなく、「楽しめる最後のチャンス」に重きを置けば、正しい評価、報道だったのかも。実は、3週間前に咲き始めを見ていたので、見頃は過ぎているだろうと思ってはいたんですよね。でも、報道に淡い期待を持ってしまった。自分が持っているファクトから仮説を立てれば、そもそも報道を正しく評価できたはずなのに・・・ここも自分の甘さかな。