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他に、心に残った言葉を

別途に記したフレーズ集

(自分の記録用)
 

 


世の中には見えないものがいっぱいある。そういったものを「ある」と証明するために、名前がある。たとえば空気、常識、暗黙の了解。

 

多くの人は「みんな違ってみんないい」というような言葉を好む。でもそれはたいてい「みんなと違う自分を『個性』として受け入れてほしい」という場合に使われる。他者が自分の好まない習性・特性を持っている場合に使用する人は少ない。それがいけないと言いたいわけではない。他者を受け入れるということ、他者から受け入れられるということの困難さを思うだけだ。

 

「自分たちと、なんか違う」を、人は敏感に感じとる。星崎くんをいじることに向けられていたあの人たちの気持ちが、こんどはわたしに向けられるような気がした。

 共感も感情移入もしないというわたしのスタンスは、他人の気持ちについてそもそも想像ができないということとはちょっと違うし、自分自身に感情がないわけでもない。だからこそ、こわかった。

 

ある種の人々は、自分の欲求を欲求として口に出すことを厭う。常識とか規範とか慣例とかいうものに沿ってものを言うことのほうが正しいおこないだと思いこみ過ぎている。

 

愛情が物事をいつも良い方向に導くとはかぎらないのだ。

 

友だちがいないのはさびしいことである。一般的にはそう言われている。人格に問題があるかのようにあつかわれることもある。問題は友だちの有無ではなく、さびしさとのつきあいかたではないだろうか。

 

「よくある話」が身に降りかかった際に、よくある話なので明るく乗り越えろと強制することは、暴力だ。「よくある話」は自分の身に降りかかればすべて個人的で特異な事情となるのだから。

 

「けど、ほんまに他人に関心がないんかな、あんたは。もしかしたら簡単に相手のことをわかった気になりたくない、と思ってるんちゃう?」

 

だってこの世には見えないものがいっぱいある。見えないのに、わたし以外の人には「ある」と認識できるもの。マナー、暗黙の了解、常識。それらのものが、わたしにはわからない。

 わたしにだけ、わからない。

 

「誰でもみんな、なにかしらの後悔はするんちゃう? なにをどう選んでも、どっちに進んでも」

 やらない後悔よりやった後悔がどうとか誰もが口にする。それは誰もがなんらかの後悔とともにしか生きていくことができないということを意味するのではないだろうか。程度や種類の差こそあれ。