実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) | RYUJIのサブカル批評

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)

DVDにて「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」を鑑賞。

若松孝二監督の本領発揮、面目躍如と言ったところか。まあ、気味の悪い映画でした。二度は見れません。(これは誉め言葉です)


若松監督は、あの時代の若者を肯定しているわけではなく、寧ろその滑稽さを前面に押し出しているように、僕には感じられた。

何かと言えば「総括」だ、「自己批判」だ、「共産主義」だ。見ていて気分の悪くなる言葉のオンパレード。高尚な思想とは矛盾した、その狂気じみた行動。

「言葉遊び」、「革命ごっこ」と言ったら、当時の連合赤軍の人達はお怒りになるだろうか?否、それを今一番解っているのは、今は夢から醒めているであろう本人達だと思う。


権力に抗う集団の中に、また新たなる権力が生まれ、恐怖に打ち勝つ為に、仲間を処刑し、より一層の恐怖を心に植えつけてしまう。


考えてみると、僕は1971年生まれなので、この時代に生まれている。つまり、僕の両親が正にこの時代、この映画の主人公達と同じ世代に当たる。会社で言えば、この時代の若者達は、丁度、定年退職を迎えたような人達だろう。考えさせられるなぁー。


「革命」という言葉に陶酔し、集団催眠のようなものに掛かってしまった若者達の悲喜劇。

この映画を見た人達は、若松監督の情熱に圧倒される事だろう。これだけパワフルな映画には滅多に出合えるものではない。因みに、若松監督は70歳を超えている。


採点/85点


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