気分はまだ落ちてるけど、
それでもやらないといけないので動いてる。
日々成長していく子猫を見ながら、
大きくなったらもうリリースしかないという焦り。
せっかくの可愛い時期を、人にかまってもらう事もなく、
走り回る事も出来ずにケージで生かしている、という罪悪感。
どうして誰もこの子達に家を与えてくれないんだろう、という憤り。
そんな感情がごちゃまぜになって、
涙になって流れてくるの。
でも、友達が救ってくれた。
昨日、バンコクでいつも猫を受け入れてくれている友達がラオスに来てくれて、
譲渡会があるので、またラオス猫を受け入れてくれるって。
もちろん彼女も保護猫をたくさん抱えていて、
黒、キジ、サビの3重苦。。。
なんだけど、そんな中で私の猫を受け入れてくれると。
こんなに可愛くてもラオスでは家が決まらない。
金曜日、かなりの数の猫がバンコクへ出発します!
本当に救われた。
あとはさ、彼女にとっては何気ない一言なのかもだけど、
彼女の言葉にも救われたの。
一緒に寺回りもしたんだけど、
「ありゃ大変よ。」って。
そうなの。
餌やり、大変なの。
餌やりって、餌をやる事がもちろん目的ではあるけど、
でもそれを通して、1日24時間のうちの15分くらいしか見れない中で、
猫達の健康状態をみないといけないの。
食べない、
食べ方がおかしい、
歩き方がおかしい、
砂場でずっともぞもぞしてる、
そういう変化に気付かないといけない。
外猫だから、様子見ができない。
その日様子見をして、
翌日もっと具合が悪くなっていたら出て来ないかもしれない。
そういう緊張感をもってまわってる。
それをさ、一緒に行きたい、手伝うって言うから行ってる人がさ、
「どの子がいたかなんて見てないよ。」
「どの猫かなんて分からないよ。」
「餌置いてあるからいいでしょ。」
そんな事を言われたら、ストレスでしかない。
1日1回しかご飯にありつけないかもしれない外猫達。
その1回を確実に食べて欲しいんだよ。
そういう私の苦労がさ、
彼女の、「ありゃ大変よ。」っていう短い一言で、
報われた気がしたの。
私が彼女と初めて会ったのは、
多分タイに移住してすぐの2009年くらい?かな。
私が猫なんて知らなくて、
自分の事しか考えてなくて、
本当にクソみたいな人間だった頃。
あんまり覚えてないんだけど、
その時に彼女を紹介してくれた人が、
彼女は野良猫に餌あげてるんだよ、って言ってたのはうっすら覚えてる。
その時のクソな私は、
15年後に彼女が私を救ってくれるなんて
夢にも思わなかったんだな。。。