発達障害と診断されるまでの経緯の、専門学校に入学してからの記事です。

三歳児検診で傾向ありと言われてから私が発達障害?! 幼少期





必死に努力して、親の期待にまず一つ、応えることができて、とにかく浮かれていました。
高校を無事に卒業し、次の専門学校では知り合いがほぼいない状態でのスタートである為、
正直不安しかありませんでした。

そして、入学式前日に、入学説明会というものがありました。
そこで初めて同じ学年の学生と顔を合わせる事になったのですが、
緊張しながらも、隣の学生の子が気さくな子で、なんとか話せるようになりました。

しかし、翌日の入学式当日。


大遅刻しました


説明会の日に私が聞いた「明日は○○時から」というのは、親のくる時間の事で、新入生はその30分前には受付を済ませていないと行けなかったのです。

そんな事とはつゆ知らず、勘違いしたまま母と2人でバスに乗ってドキドキしながら学校についたら、
保護者らしき人たちの姿は見えるけど、他に学生の姿が全然見当たらない。

なんでかな〜と思いつつ会場入口に行くと、先生が慌てて
「もう時間過ぎてますよ!」
と言うので、
「えっ!○○時からじゃないんですか?!」と思わず言ってしまい、
「それは保護者の方の時間です〜っ!!あせる
「す、すみませんッッ!!!勘違いしてました!!!」


と、初日から恥ずかしい思いをしました..。
もちろん遅刻したのは私だけ。



*対人関係が上手くいかない
これまでと同じ失敗をしてはいけない、と思い、
なるべく、「変な人」と思われないように、
他の学生と話す時にすごく気をつけていたつもりですが、
逆にそれでぎこちなくなってしまっていたのか、
どう見ても「浮いている」感がすごい

周りを見渡すと、もうあちこちでグループができているけど、自分は全然馴染めてない!!!(゚ロ゚)
ここで、高校の時から感じていた対人スキルのなさを再び痛感する。

しかし、学校には友達作りに来た訳では無い、と無理やり自分に言い聞かせるが、
グループ講習や実習ではどうしても他の学生との共同作業になるから、
コミュニケーションがうまくとれないと非常に苦労しました。

グループの話し合いでも緊張して話についていけなかったり、突然話を振られてうまく答えられなかったり。
真面目にやる気あるの?!と思われても仕方ない...。

休み時間は常にスマホをみていて、比較的仲のいい学生ともそんなに絡まず...。
高校とは比べ物にならないくらい、勉強も難しく、技術テストも厳しく、
あまりのハードスケジュールにどんどん自信をなくしていました。
そして、どうして自分はこんなにも学校でうまくいかないんだろう、とすごく悩みました

そして、自分は将来社会で生きていけないのではないか
こんなに弱い自分が本当に医療従事者になれるのだろうか
そもそも国家試験に受かるのだろうか

そんな不安がむくむくと大きくなっていきました。


*アルバイト
この時、自分は週一で、とあるバイトをしていました。
そのバイトのおかげで、学校はとても辛かったけど、何とか頑張れていました。

そのバイトというのが、個人の飲食店!!!

コンビニ並にマルチタスクで、とても繁盛している店ですので忙しさも半端なく、
しょっちゅうミスをしてしまい、口癖は「すみません!!!」でした

ですが、そこのスタッフの方たちは、怒るどころか「次はどんなミスをするのか楽しみにしてる」とすら言ってくれました。

そして、お客さんもいい人達ばかりで、入ったばかりで緊張していた私に気さくに接してくださったり、とても楽しいと思えるバイトでした。

学校ではあんなに人間関係がうまくいってないのに、
ここでは他のバイトの人達もみんなフレンドリーで人間関係の事で悩んだりはしませんでした。

例えば、私は言葉を文字通りに受け取ってしまいます
ホール担当をしていた時、2人のお客さんとオーナーがお話をしていて、
お客さんが親父ギャグを言って、もう1人のお客さんが「寒い!!!めっちゃ寒い!!!」と言ったのでそれを聞いた私は慌てて
膝掛けと暖かいお茶をお出ししましょうか?」と声をかけた所、
一瞬だけシーンとなった後、オーナーとお客さんが大爆笑。
私は本当にこの時、なんで自分が笑われているのか全然わからず。
「この子面白いな!!!」
ちょっとよくわからないけど、そう言ってもらえたのが嬉しくて、満面の笑みで「ありがとうございますーーっっっ」と深々とお辞儀をしたのを今でも覚えています。


学校では、受け入れられなかった自分が、
ここでは受け入れられている

それだけで気持ちがすごく満たされていました。

今までこんなふうに言われたことがなく、テストの成績くらいでしか褒められた事がなかったので、
今まで感じたことない充実感がとても気持ちが良かったのです。


*一人暮らしで大失敗
専門学校に通って半年が経ち、私は母に一人暮らしがしたいとお願いをしました。
実習期間中は朝の7時半頃には学校に着いていなければならず、
そのために学校の近くの賃貸を借りて住みたかったのです。
父の許可なしでは一人暮らしはできないので、
母が父にメールを送ったところ、許可がおりたみたいで、
一人暮らしができることに私は飛び上がって喜びました。
早速、いい物件を見つけ、しかもIHだから火事の心配もない!!!
家賃は自分で払い、光熱費は親に払って貰っていました。
しかし私は極端な性格で、ガス代と電気代をとにかく節約しようと、
基本的にテレビと電気はつけず、
冷蔵庫とドライヤーとスマホの充電の時のみ電気を使っていました。
ですから光熱費はほぼ基本料金...(笑)

実家のような汚部屋にならないように、必要最低限の荷物だけ置きました。
しかし、学校でクタクタに疲れて家に帰っても誰もおらず、
しかも情けない事に今まで私は実家で何から何まで母にして貰っていたので(お風呂の準備や、風呂に入ったあとの着替えの準備など)、
今まで母にしてもらっていた事を自分でしなければならず、
そんな簡単な事すら、私はできませんでした

母が子離れできない〜と言っていたのをゲラゲラ笑っていましたが、
いつまでも自立できていないのは私でした。
そして、逆に摂食障害のストッパーがおらず、
止める人がいない私は、近くのスーパーにお金を持って、コスパのいい惣菜を買い込んではドカ食いをして吐く生活を繰り返していました。

そして摂食障害が一気に悪化し、自分に対する嫌悪感が強くなりました。

過食衝動が抑えられず、自分の身の回りの事をまともにできず、学校も全然楽しくなくて、学校を休みがちになりました。
学校を休んだ日は気分の落ち込みが非常に強く、ベッドから起き上がることもできませんでした
シャワーも浴びられず、歯磨きもできませんでした。

でもアルバイトには行っていました。
自分を認めてくれるのはここだけだ、とアルバイト先への気持ちの悪い執着心がありました


母には定期的に連絡する約束でしたので、
LINEでのやり取りをしたり、電話をしたりしてました。
しかし、私の状態がおかしいと気づいた母が、「実家に戻っておいで」と私を実家に連れ戻し、
「もう1度心療内科に行ってみようか」と提案され、高校の頃に通っていた病院とは違う病院で、母に付き添われて受診したところ
診察の時に、「今日はどうされましたか?」と聞かれると思うのですが、
「どうされました...?うーん...」と、困ってしまい、
うまく悩み事を説明できずに変な説明しかできなくて、医師に

甘えてる!!!!!あのねぇ、そんなことじゃ将来やっていけないよ!

と一喝され

「自分は将来うまくやっていけるのか?」


という悩みにグサッとささり、
しかもお医者さんがそういうのだからそうなんだろう、自分は甘ったれたダメな人間なんだ。
もう病院に通っても意味がない

治療意欲が下がりに下がって、処方された薬すら飲みませんでした。

実家に戻り、何とか実習期間を乗り越えることはできましたが、勉強は更に難しく、
技術テストもより複雑なものになり、ますます自信をなくしてしまいました。

あんなに頑張って勉強して入学したのに。

高校でも弱音をはいて、ここでも結局同じことの繰り返し。
病院で医師に言われた「甘えてる」の言葉が頭から抜けず、
比較的仲のいい学生からも「最近ずっと元気ないね」と言われていました。

私が笑っていられたのは数少ないアルバイトの時だけでした。

そして、縁があって今の主人と出会い、進級前にお付き合いをする事になりました。

アルバイトと主人の存在が私の支えでした。

母は私の味方でいてくれたのですが、母に対してはこんなできそこないで本当にごめんなさい、期待に応えられなくてごめんなさい、という気持ちでいっぱいでした。

*父と絶縁
結局、学校にはいけなくなってしまい、その事で父が怒り狂って、

この役立たずが!!
俺に恥をかかせやがって!!
今まで使った金を返せ今すぐに返せ!
死ね!お前は社会ではなんの役にも立たない!
死んだら楽になるぞ!
お前とは絶縁だ!!
俺の前に2度と姿を見せるな!

などのメールを大量に送ってきたため、このやり取りを最後に、父は血縁上でしか繋がりのない人になりました。

そんなゴタゴタの中、流石に学費を稼ぐためにアルバイトをしながら
学校に通うことが自分のキャパシティ的に無理でしたので、
学校は辞めてしまいました。

けど、後悔はしていません。
むしろ辞めてよかったと自信を持って言えます。

しかし、メンタルは全然回復せず、絶縁の際のゴタゴタの記憶がフラッシュバックして過呼吸を起こしたり、主人にも摂食障害の事を打ち明けられず、精神的に苦しい日々が続きました。

そんな時、母に、「○○さん(主人)のためにも、もう1度心療内科に行こう」と言われ、
本当は物凄く行きたくなかったのですが、かと言ってこのまま体調が回復する兆しも見えないし…と、三度母に連れられ心療内科に行く事になりました。



専門学校の時期はここで終わりです!
次が、最後の社会人になってからの記事です!