久しぶりの更新なのに、また雑談のような内容で申し訳ないが、盆休みも、8月15日も過ぎてしまったので、思うところを少しだけ書いておきたい。
戦争の悲惨さを伝える語り部の役割を担う高齢者の方や、かつてゼロ戦乗りだった元兵士の方が、口をそろえて、戦争はやっちゃいけないんだと語っているのを見た。その悲惨さを実際に体験した方の言葉には、重みと説得力があった。理屈じゃないんだろうなと思う。その言葉に尽きるのかもしれない。
個別的自衛権と集団的自衛権の境界線が、最近の報道等で説明されている通りなら、この件でこれまで曖昧だった僕の立ち位置も、集団的自衛権の行使には反対だとの結論に行き着く。日本の領土・領海や海外に派遣されている自衛隊が攻撃されている場合の武力行使は、同盟国の軍隊が一緒に行動していようがいまいが、個別的自衛権の範囲内であり、専守防衛の範疇に収まるのだろう。当然、日本を守るために戦っている同盟国が攻撃された場合の自衛隊の武力行使も認められるべきだ。しかし、日本が係わっていない戦闘に参加しての武力行使は、個別的自衛権の枠を明らかに超えている。では、同盟国を助けなくてもいいのかとの議論になるだろうが、この場合の同盟国として想定されるのはアメリカのことである。日米安保に伴う地位協定や思いやり予算、多くの米軍基地の存在を踏まえ、とても対等とはいえない日米関係を考えれば、イラク戦争のような、アメリカの理屈で始めた戦争に、アメリカ主導(或いは命令)で日本が加担することにもなりかねない。これは、僕個人としては認められない。日米安保が、今の形で続く限り、日本の集団的自衛権の行使はありえないと思う。更に、タブー視されていることは分かっていても、米軍基地や、日本に停泊中の米国艦船に核兵器が配備されているかどうかも、この件について考える時には、頭から離れない。日米安保やアメリカの核の傘に守ってもらうかわりに、アメリカが突き付けてくる幾多の理不尽な要求を呑まされてきたのが日本だ。この不公平な関係が解消しない限り、日米安保の継続と集団的自衛権の行使は相容れないのだろうと、現時点ではそう考えている。だからといって、アメリカから離れて、軍備増強して核武装すればいいなんて全く思っていない。将来的に、長期間かけて徹底的に議論し尽くした上で、変革していくのならいいが、現状では、日和見といわれようとも、非常に困難でも、今の日米安保を継続しながら、不公平を是正し、沖縄の負担を軽減し、アメリカにものを言っていくにはどうすればいいのかを、安倍政権には無理でも、次の政権からは本気で考えてほしいと願っている。
改憲論者の中には、今の憲法は、戦後アメリカがほんの短い期間で作って強引に押し付けた憲法であるから、改憲或いは自主憲法の制定は当然の成行きだとの意見が多く聞かれる。この意見には一理あるとも思うが、それよりも重要なのは、内容であり、初めに改憲ありきではないはずだ。これも個人的見方だが、今の憲法で、戦後68年間平和と治安が維持され、時の権力の暴走を食い止めてきた。それに比べて、去年自民党が出した憲法改正草案の内容は、9条のみならず、思想良心の自由や集会結社の自由が制限されるなど、誰もが平等に与えられるはずの基本的人権に制限が加えられ、権力や富を固定化し、明治憲法下のような階級社会に戻す為のものにしか見えない。安倍政権の目指す憲法改正が、この草案通りなら、断固阻止すべきものだと思える。だが、その前に、内閣法制局の局長の首を挿げ替え、解釈改憲により集団的自衛権の行使を可能にしようとするような姑息な真似は、安倍氏も一国の宰相として慎むべきだと思うが、いかがだろうか?
では、また。