毎度お馴染み、独身オヤジの家事する日曜日、andもう一つのルーティーンワークに加えて、メインで使っているパソコンが、昨日深夜に突然フリーズするという事態に陥って、その回復に手間取っているうちに、夕方になってしまった。やっと手が空いて、ペタを付けて、読者登録をしているブログを読んでいて、スティーブ・ジョブズ氏の言葉と、いつもブロガーの方々が書かれている内容と、最近自分の頭から離れない思いとが、妙に絡み合って、ゆっくり物思いにふける暇などないのに、考え込んでしまった。
最近いつも思っている事。僕のブログは、今の内容で良いのだろうか?それ以前に、僕という人間は何者で、毎日何を求め、何を目指し、その為に何をして、生活しているのか?目的を持って、その為に努力をして、少しずつでも前に進んでいるのだろうか?成果は出せているのか、満足感はあるのか、充実感はどうか?
正直に言おう。何もないではないか。くそ面白くもない毎日に、ふてくされたままの、追い詰められた中年オヤジが、どん底の生活から抜け出すために、一縷の望みをかけて、金融市場というプロの世界に、ど素人の分際で、普通に生活できるだけの利益さえまともに出せずに、かろうじて、しがみ付いているだけではないか?
なんで、今更こんなことを吐露するのかといえば、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなってから、紹介されている数々の言葉の中で、「時間は限られている。誰か他の人の人生を生きることで、時間を無駄遣いしないでほしい」という言葉に、衝撃と、絶望感を覚えたからだ。僕は、自分の為には全くプラスにならないのに、義務と責任だけは負担させられた形で、ある事に毎日人生の3分の1近くの時間を費やさなければならないという生活を、今日迄6年近くもこなしてきた。そうしなければならないからしている訳であり、それについて誰かに文句を言える立場にはなく、ここに何か書いたからといって、変わる事もない。6年前、今の生活に陥る前に、そうならないための努力を怠ったのは僕自身であり、恨み辛みを言えた義理ではないのだ。
ただ、この時間が、もし自分のものとしてすべて使うことが出来ていれば、いや、明日からでもそうする事が出来れば、少なくとも、現状維持以上の成果があげられるのにとの思いはあるが、それは現実的ではなく、今の状況では望むべくもない。今の僕にとっては、ジョブズ氏の名言がどんなに示唆に富んだものであっても、実践できないのだから意味を持たない。雁字搦め、四面楚歌、他にもいろんな表現ができるだろうが、逃れることはできないのだ。「この道より我を生かす道なし この道を歩く」といったのは、誰だったか?(今調べらたら、武者小路実篤だった)。そんな思いで、何かをやろうとしても、自分の全てをそれに掛ける事が出来る者は、その時点で幸せなのだ。努力する場所と時間があるだけで、半分は目的を達成したも同然。今の僕には、その時間すら、与えられていない。
つい先日、家の用事で外出したついでに、同じ方向であることもあって、久しぶりに職安(ハローワーク)へ行ってきた。いぶかしげな眼で睨みつける職員の態度に、むかつきながらも、一通り職探しをしてみたが、状況が変わった訳でもなく、(足が悪くて)立ち仕事が出来ない中年男への求人など、皆無に等しく、何の手がかりも掴めないまま帰宅した。 これからも、今置かれた条件の中で、投資の世界で生き残るべく、綱渡りのような毎日を続けて行くしかないのだ。1年10カ月の間、相場で生き残って来たのだから、資金をなくして撤退させられる前に、必ず勝組の仲間入りをする。この思いだけは、全く変わっていない。
そうだ、ブログの話だった。僕は、修行中の身とはいえ株のトレーダーだから、ブログに市場の結果や経済についての内容を書くのは当たり前だと思うし、それ自体は問題ないと考えている。今後、トレーダーとしてのレベルアップをしなければならないのと同時に、市場に対する読みや解釈(つまり相場観)も進歩させていかなくてはならない。だが、最近、ほとんどが株関連の記事になってしまっている事に、自分でも不満を感じている。上記のような生活になっている事を大義名分にして、ブログを始めた時の目的から逸脱すること甚だしいといった感じなのである。
本来の目的は、ジャンルに関係なく世の中で起こっている事や、自分に起きている事について、僕自身の偽らざる解釈や考えを、隠す事なくストレートに文字に起こして、読んでくれた人が、一人でも共感してくれたり、気持ちが救われたような思いをしてくれれば嬉しい。東日本大震災から、一か月余り経った頃、そんな思いで始めたはずだった。ところが、最近は、いわゆる時事ネタは10日に一回程度で、後は全て株の話。You Tubeを使って、ほぼ毎日一曲はアップして、その下に一言二言書いてはいるが、あれはその曲にまつわるエピソードであって、意見を述べている訳ではない。時事ネタを書きたくない訳でも、書けなくなった訳でもない。いいたいことは山ほどある。解釈の仕方に間違いはないか、どのように表現すれば、より自分の考えが伝わるのかということを常に考えている。ただ、それも、実際にブログを書いて公開して、読んでくれる方がいて初めて成立する話である。どんな理由があろうとも、書かないブロガーに、ネット上で何かを語る資格はない。今の僕が、その資格なしの状態だ。アメブロを始めて半年弱。いつのまにか、僕の心のバランス保つために欠かせないものになっていたブログが、この1月余りの間に、新たなフラストレーションの原因になってしまっている。本末転倒だ。
始めてから半年近くにもなれば、ものの見方や判断の根拠となるものも、変化してくる。例えば、多くの人のブログを読んでいると、得るものは本当に大きくて、中には心を揺さぶられるような、気持ちを奮い立たせてくれる内容に出会うことがある。或いは、僕自身の視野の狭さや思慮の浅さを気付かせてくれる事もある。もちろん、ブログ以外の色々なものも含めて、影響を受けたり、僕自身の主義・主張や思想の自然な変化というのもあるだろう。こうした変化を、ブログの中に反映させていく事が大事なのに、今の僕は、このあたりまえの事さえできていない。
ここまで書いてきたように、自分でも、ブログに対するアプローチの仕方をどうすべきなのかは、分かっているのだが、物理的に変える事が出来ない事が、一層ストレスが溜まってしまう理由になっている。だが、そうは言っても、あれこれ悩んで試行錯誤している余裕は、余り残されてはいない。己の感情をコントロールして、早く僕なりのものの見方というものを確立したい。報道や大人(親や教師など)の話を信じて従っていればよかった子供時代と違って、大人は(ましてやオヤジの年代なら)何事も自分で判断しなければならない。二十数年前、ある人から、「お前は、もっと批判的な目を持って、物事を見なければならんね」と言われた事がある。だが、実際にはそれに留まる事なく、自分の主張と対比させながら、どう解釈して行くのかが重要なのだと思う。それも、単に、常識や善悪といったものだけでなく、背景に何があるのかまで考慮すべきなのだろう。
前段で、スティーブジョブズ氏の言葉は示唆に富んでいるが、今の僕の生活状況では、実現不可能で意味を成さないと書いたが、どうやらそう考えてしまうのは間違いのようだ。ジョブズ氏の言葉に共感するのなら、諦めずに実践できる環境を整えるところから始めるべきなのだ。その為にも、普段から物事を見極める目を養い、予断なく考察することを習慣づける必要があるようだ。「言うは易く行うは難し」で、時間の制約のある中では、なかなか実践できそうにはないが、それでもやるしかないのだろう。
まぁ、十人十色、考え方は様々だろうが、僕はこれからは、こんな感じでブログに取り組んで行きたい。それには、何としても、時間の壁を打ち破らなければならないのだが……。
最後に、最近、日曜日にブログで愚痴るのが、悪しき習慣のようになってきた。自戒しなければならない。
今夜の一曲は、「ウィッチ・クラフト」 ビル・エヴァンス・トリオ
「ポートレイト・イン・ジャズ」からのアップも、そろそろネタ切れです。
この曲は、リバーサイド(レーベル)時代のビル・エヴァンスの演奏を、僕が自分でMDに編集した時に、最期の曲として入れたものです。コンサートなら、アンコールでやりそうな感じがしませんか?
では、また、おやすみなさい。
※10月10日04:49追記。
今、トイレに起きて、気付きました。また、やってしまいました。せっかく、昨日日付の変わる前に書いたのに、公開し忘れていました。今から公開しますが、一日一回以上の更新をノルマにしているので、公開日時は昨日のままにさせて下さい。以上、ご報告まで。