テニスの最高峰・ウインブルドン選手権で、クルム伊達公子選手が、シングルス1回戦で15年ぶりに勝利を上げた。
40歳での勝利は、マルチナ・ナブラチロワの47歳に次ぐ、歴代2位の記録だという。
この勝利は、もちろん快挙と言っていいし、称賛に値する。
だが、同時にある思いが頭をよぎる。
15年前の1996年、伊達は、世界ランキングで最高4位(ウインブルドン当時は12位)にまで上り詰めたトッププレーヤーだった。
この年のウインブルドンが、結果的に伊達にとって、唯一グランドスラムに優勝するチャンスだった。
順当にベスト4まで勝ち上がった伊達の準決勝の対戦相手は、当時女王に君臨していたシュテフィ・グラフ(独)。
第1セットはグラフがとったが、明らかに調子が悪そうだった。
第2セットに入ると伊達の勢いが上回り、セットオール。
ここで、グラフの老練さ(年は若いけど経験という意味での)が出る。
日没・サスペンデッドではないかとアピールし、認められたのだ。
結局、翌日再開された第3セットをグラフがとり、伊達は決勝に進めなかった。
もしこの時、サスペンデッドにならずに第3セットが行われていれば、十中八九伊達が勝っていた。
勝負事に絶対はないけど、多分間違いない。
同時に、日本人初のグランドスラム大会制覇に期待が集まった。
ところが、同じ年の9月に、引退を宣言し、一線を退く。
もちろん、アスリートの引き際は選手自身が決めることであり、周りが(ましてやファンが)とやかく言う筋合いのものではない。
だが、スポーツテレビ観戦オタクの感覚からいえば、テニスプレーヤーとしての全盛期での引退は、如何にも勿体ないと感じたし、日本の第一人者として、あの時点で辞めることは、無責任ではないかとも正直思った。
まだ若くて、十二分に力がある状態での引退なのに、その理由が本人の口から詳しく語られることはなかったと記憶しているからだ。
日本ハムのダルビッシュ・有投手が、今シーズン限りで突然引退するような感覚と言えば分かりやすいだろうか。
当時、テニス関係者は戸惑っただろうし、後輩のプレーヤーは動揺したに違いない。
それまで応援してきた、テニスファン・スポーツファンはキツネにつままれたような感覚に陥ったものだ。
同じく、日本の女子テニスを引っ張る位置にいた杉山愛選手(昨年引退)が、10代半ばから34歳迄活躍し、グランドスラム大会シングルス連続出場記録(62)を達成し、ギネスブックに登録されたのとは対照的だ。
僕がなぜ、伊達が25歳で引退した事に拘るのかと言えば、彼女には日本人離れした才能があったからだ。
それは、数々の実績が証明しているし、杉山や、今をときめく錦織圭を遥かに凌いでいたと思われる。
あのウインブルドンベスト4の後引退せずに、せめて3年続けていれば、グランドスラム大会の1つや2つ、必ず優勝していたに違いないと思っているからだ。
繰り返すが、アスリートの引退は、選手個人が決めるべき問題だ。
表には出てこない、特別な事情があったのかもしれない。
しかし、25歳で引退した伊達が、12年の月日を経てコートに戻ってきた時、その想像以上に若々しく力強い動きに、複雑な気持ちになった。
どうしても、早過ぎた引退が、引っかかってしまうのだ。
まぁ、そうは言っても、日本人選手が出る試合は、何の競技でも、誰の試合でも、テレビにかじりついて応援しちゃうんだけどね。
スポーツテレビ観戦オタクの、悲しい性だといえる。
15年ぶりに勝利したウインブルドンで、伊達の2回戦の相手は、過去5回の優勝を誇るパワーヒッター、ビーナス・ウィリアムズ(米)だ。
かつての世界ランキング1位に対して、どこまで通用するのか、ライジングは健在なのか、テレビ中継があれば、必ず応援しようと思う。
では、また。