天国と地獄という厄介者 2 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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さて続編ですが、天国とはいったい何でしょうか?

そして地獄とは、いったい何でしょうか?


私はこれはメタファー(暗喩)だろうと捉えています。


地獄のような日々だったとか、まるで天国にいるようなとか・・・こんな表現は日常的に使われている筈です。


ところが、その言葉の意味するところはほとんどの人は知りません。


もちろん私も、天国が何処にあるのか地獄が何処にあるのかに関しては全く訳が分かりません!

まぁ、そんな共通のスペースとかではなく心理的に心地よい状態とその反対の喩えでしかない可能性があります。

そんな不確かな天国や地獄が、数え切れないほどの不幸や犯罪の源だとすれば・・・これはある意味では大問題です。


本来なら多くの人の精神の救いにならなければならない筈の宗教が、何故そんな不確かなことで人を惑わすのか?

私はここに、大いなる疑問を持っています。

もちろんこの天国や地獄に限らず、神や悟りや愛に関しても似たようなことが言えます。

多くの人が、今のような言葉を常識的に知っているものという前提を疑う必要があります。


もし仮に、多くの人が神や悟りや愛を単なる常識的な観念ではなく、本当に体験的に知っているのなら・・・この世界には何の問題もなくなっている筈です。

さぁ、そろそろ結論です・・・どんな人も熟睡したらどうなるかを心配しないように、死後のことも来世のことも・・・何の心配も要らない筈です。

これが大いなる法則を信頼するという、大船に乗ったような心の安寧(あんねい)だろうと思います。


天国も地獄も単なる喩えでしかないという、あまり聞いたことのない私の持論・・・少しは納得して頂ければ幸いです。


それでは、また近いうちに!!