天国と地獄という厄介者 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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哲学、アート、次世代の価値観

大胆なタイトルだと思う人、変なタイトルだと思う人・・・あるいは意味不明の人。


さぁ、あなたはこのタイトルに何を感じたでしょうか?

もちろん私は真剣にこのタイトルを選び、そして今からその本題に入るつもりです。


例えば、過激な宗教団体などの真面目な信者がとんでもないテロ行為に及びながら神を讃えている姿・・・私に言わせたら、あれこそが地獄という現実です。

マインドトリップもあの段階までいくと、流石に誰にもどうすることも出来ない筈です。

テロを起こす過激な宗教やオウム真理教などの逸脱した理想を求めるカルト教団、あるいは集団自殺する教団にしても、実は今のような強烈なマインドトリップという、言わば精神の病だろうと思います。

さぁ、では何故?人はそんなマインドトリップに陥るのか?


何を隠そう、今日のこのタイトルがその答えと言えば驚くでしょうか?

私には天国も地獄も、今ではマンガや小説の題材ぐらいのリアリティーしかありません。


ところが、大方の人にとっては天国も地獄も・・・これ以上ないほどの厄介者として存在しているような気がします。


天国への憧れや執着こそが、地獄というあり得ない世界にリアリティーを与えて、それを怖れているという可能性が考えられます。

因果律という絶対的な法則があることだけは、疑いようがないとは思いますが・・・何故そこから天国とか地獄に飛躍するのでしょうか?

善因善果、悪因悪果というように確かに行いはやがては自分に返ってきます。

それを死後の世界に、あるいは来世にまで延長させるという手法が宗教の特徴ではないでしょうか?


「地獄は例えようもなく恐ろしく、あなたの信仰しだいでは永遠の天国に行くことも出来るのです」


まぁ、宗教とは概ねそんなことを言う訳ですが・・・禅の世界では天国も地獄も何のリアリティーもありません。

「犬に喰わせろ!」

これでオシマイです!(笑)

悟りでさえ、他の宗教ほど大袈裟には扱いません。

「大悟三回、小悟数え切れず」

「味噌の味噌臭さは上味噌に非ず」

弟子が悟った瞬間から魔境も含めて、思わぬ落とし穴があることを師匠は体験的に知っているからこそ、敢えて意地悪と誤解される危険を犯してでも冷静な「平常心」に戻そうとしていることに感心する人は、いつの時代も少ないのかも知れません。


私は天国に憧れもせず、地獄も怖れる訳ではありませんが、このふたつの厄介者?を卒業するまではかなりの年月が必要なことも否めません。


さぁ、そんな天国と地獄の話もやはり一話完結とはいかないようです。


それでは、この続きはまた続編で!!