「命という奇跡」続編 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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この命あることそのものが、何故奇跡なのか?

そう思う人もいるかも知れませんが前回の話の呼吸も心臓の鼓動も、そして消化吸収排泄もすべて自律神経が面倒をみてくれていることは、既に医学の常識です。

では、その自律神経・・・自分で造った人もいなければ、その後のシステムを意識的に稼働させている人もいない筈です。

このような仕組みを誰か天才的な頭脳の持ち主がこしらえた?・・・そんな人も当然ですが、何処にもいないことは明白です。

そのどれが不具合を起こしても、健康ではいられなどころか死に至る可能性すら否定は出来ません。

自分で稼いで、そのお金で衣食住に関しては誰の世話にもなっていないから、自分の力だけで生きていると思う気持ちは分かります。

でも、どうでしょうか?

生きている前に、生かされているという自覚・・・そんな自覚がない人の方が、いわゆる生活習慣病になっているように思うのは私だけでしょうか?

好きなものだけを過剰に摂取して、酒も煙草も無自覚にほうり込んで・・・あまり運動はしない。

こんな人が健康で長生きするように出来ていると、本気で思う人はいるでしょうか?

何度か書いてきたように、自分の健康の最終責任者はもちろん誰もが自身自身です。

私はベジタリアンでもなく、酒も飲めば煙草も吸う人間です。

但し・・・無自覚という訳ではなく、常に適度ほどほどを心掛けています。

何故かと言えば、出来るものなら健康で長生きはしたい・・・と、そんな人並みの欲望?の持ち主だからです(笑)

では、ただ長生きしたいというというような命への執着の持ち主かと言えば、必ずしもそうではありません。

私が、生かされているという時は生存していること指しています。

先ずはその生存があり、そしてその後の衣食住や趣味などを含めた、暮らしというものがあるように思います。

但し・・・私はその次の三番目があって初めて、生きるということだ捉えています。

生存して、生活するだけが人生でしょうか?

さぁ、使命という命の使い方・・・この自覚なくして何のための命の奇跡なのか?

せっかく授かったこの命、奇跡の連続のこの命・・・無駄遣いにならないようにする秘訣に関しては、やはりまた続編という流れのようです。


それでは、命があればまた近いうちに!