厳しさと 優しさそれは 裏表。アモンA143 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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厳しさだけで、優しさのない人。

反対に、優しさだけで厳しさのない人。

さあ、今日はこのあたりを掘り下げてみようと思う。

先ほどのような人の厳しさは、果たして本物だろうか?

そして、その優しさは本物だろうか?

結論から言えば、私にとっては、どちらも疑問符がついてしまう。

そのふたつは、比例してこそ本物…そう思うのは私だけだろうか?

世の中には私のことを、かなり厳しい人だと捉えている人もいる。

反対に、優しいと捉える人もいる。

では、私自身はというと…もちろん普通だとしか思っていない。

私は少なくとも、厳しい人とか、あるいは優しい人とかのレッテルには興味などないし、どう見て欲しいということもない。

さあ、ここで一枚の紙を思い浮かべてみて欲しい。

表だけ…あるいは裏だけを大きくしたり、小さくしたり出来るだろうか?

誰がどう考えても、そのふたつは比例してしまう。

私は厳しさと優しさの関係も、今の一枚の紙のようなものだと捉えている。

たとえば、大切に育てている植木にこんもりと雪が積もっているとしよう。

時間のゆとりのある時は、丁寧に手で払うことも出来るが、一刻を争う時は?

そう、木刀で一撃ということもあり得る。

手が優しさで、木刀が厳しさということになる。

私は手だけを使いたいとか、木刀だけを使いたいと思う必要はどこにもないのでは?

ケースバイケース…要するに、結果として雪の重みから植木を守れるかどうか、肝心なのはこちらであることは言うまでもない。


優しさのない厳しさは、私に言わせたら冷た過ぎることを意味する。

反対に、厳しさのない優しさは甘過ぎることを意味する。

厳しい人とか優しい人とかよりも、もっと大切なことがあるように思う。

どちらが裏でも表でも、その一枚の紙を大きくすることが肝心なのでは?

器が大きい…それはこんなことを意味するようにも思う。


厳しさと優しさのバランス…足りない方を心掛けるしかないのでは?



厳しさと

優しさそれは

裏表。