花と花 根元を見れば 唯ひとつ。アモンA044 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

慧アモンの和可知愛フォーラム

哲学、アート、次世代の価値観

アモン575-130311_1041~01.jpg

地上には、言葉の違う人達がいる。
肌の色が違う人達がいる。

宗教や価値観の違う人達もいる。

歴史も経済力も違う…違いはまだまだ数えきれない。

今の日本と、中国や韓国との関係…すべては、この違いから始まっていると言っても過言ではない。

ここで私ごときが、政治に関する話をしても始まらない。

何故なら、私は文化の立場からしか何も出来ない。
しかも、無名で微力…それを百も承知の上での一句であり、一石ということになる。


ボブ・ディランもジョン・レノンも、直接は戦争を止めさせる行動はとらなかった。

でも、どうだろう…彼ら残したメッセージは?

おそらく半永久的に、いや永遠に後世の人達に影響を与えると私は思う。

文化の力とは、そういうことかも知れない。
日本と中国や韓国の関係に限らず、職場でも家庭でも国会でも、価値観の相違は当然考えられる。

そして時々、それが表面化しても、何の不思議もない。

但し、対話を通して最終的には共存共栄の道を…それを見いだすのが器であり、知恵なのでは?

相手の立場を理解するゆとり、違いを認めるゆとり、そして、こちらの言い分も辛抱強く伝えるゆとり…。

これが鍵だろうと、私は思う。

そのゆとりを取り戻すには、心のリセットが問われる。
その秘訣が瞑想…と言っても、すぐに分かる人は少ないかも知れない。

そんなこともあり、瞑想的という言葉を使うようにしている。

たとえば、こんなことも瞑想的と言える。

星を眺める…花を見つめる…風を感じる、これらの何かの行為を意識的にゆっくり味わう。

そして、目を閉じて自分の心に問い掛けてみる。

命はどこから来たのか?

命は本当はいくつなのか?

花と鳥は、違うものなのか?

私と私でないものは、ひとつになれないものなのか?


こんなことを考えるのではなく、感じようとする。


これを何度も実践しない限り、瞑想的の意味を理解することは出来ない。

言葉やロジックの限界…残念ながら、私にはどうすることも出来ない。

あなたが、あなた自身がそれを望まない限り…。

但し、これだけは言っておきたい。
目の前に花がふたつあったとしても、その根元まで見て欲しい。

仮にそれが違う花だとしても、その土はどうだろうか?
ひとつの宇宙の、銀河系の、太陽系の地球の土、という極めて差のないものと言える。

同じアジアに咲いた花…兄弟喧嘩と思えないだろうか?

そろそろマクロの視点、仏の視座から見直してもいい頃…そう思うのは私だけだろうか?



花と花

根元を見れば

唯ひとつ。