響き合う 人から先に 和音の輪 アモン。 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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哲学、アート、次世代の価値観

音と音、、、。
色と色、そして香りと香り。

これらのどのジャンルだろうと、響き合う時、、、つまり、調和する時とそうでない時がある。

たとえば音楽、十二音階ということで分かりやすいかも知れない。

[ド]の音を、十二音階の中から選びだしたとする。
響き合うのは当然1オクターブ上、あるいは下の[ド]の音と[ミ]の音、[ソ]の音ということになる。
これを同時に奏でるとハ長調、つまりCコードの和音となる。

音楽のレクチャー?そう思われそうなので、もう少し先を急ぐことにする。

音は十二音だが、仲のいいものが四つ、ほどほどが四つ、あとは不協和音、つまり仲の悪いものが四つ、、、そんな解釈が成り立つ。


私はこれがそのまま、人間関係にも当てはまるのではと思う。

今のアルジェリアの問題、少し前の体罰ではなく、暴力の問題。
オウム真理教の問題、そしてありとあらゆる争いや戦争、、、。


これらの一切の背後に、要因として価値観の[不協和音]が考えられないだろうか?

ヒエラルキー(階層秩序)というものの見方があるが、実は音楽ではこれが当てはまらない。

いくつかのものが、ジャンケンのように、どれが一番とは言えない関係、、、私はここに未来の人間関係にとって、とても重要なヒントが隠されていると思う。

不協和音のまま、どちらも譲らすボリュームを上げたら、とてつもない雑音になり耳を塞ぎたくなり、精神も乱れる。

私はこれが、争いの構造と捉えている。
では、どうすれば回避することが可能だろうか?
先ほどの和音の話を思い出して欲しい。

未来永劫とは言わないまでも、人間の価値観の相違は急には変わらない。
ならば、その時点ではお互いに近づいたりせずに、少し距離を置く必要があるのでは?

こんな文章を書きながら、私はNHKの番組を見たりする悪い癖?がある。

スローライフな世界遺産の中で、バヌアツの部族たちの争いを鎮めるために、ひとりの長老が立ち上がった。
大昔の伝説らしい。
長老は「みんなよく聞け!こんなことを続けてたら、どの村も滅びることは目に見えている、わしにいい考えがある、、、さあ、ここに集まってくれ」そう言って、それぞれの村の男たちに大切にしているものを、ここに持って来なさいと命じた。
やがて、男たちは様々なものを持って広場に集まってきた。

石や木の枝、布や果物。
長老はその中に、対立している村でも、同じものを持って来た者を呼び寄せてこう言った。
「あなたとあなたは今日から友達だ、仲良くやるがいい」そんなことを繰り返すうちに、村と村の争いは完全に終わったという話だった。

私にとっては、こんな日常よくある偶然の一致が、ユングの唱えたシンクロニシティ(意味のある偶然)ということになる。

争いに時間を費やす前に、先ずは一致することに目を向ける、これが和音を奏でる基本だろうと思う。

それそれが身近の相性のいい人たちと、先ずは和音を奏でる、そしてあちらでもこちらでも和音の輪が広がった時。
壮大なシンフォニーとなり、十二音階のすべての音が完全な調和という、人類初の奇跡が起こるのでは?


イエスの「汝の敵のために祈りなさい」や、仏陀の「縁なき衆生、渡し難し」は、未来の人類に贈られた愛と知恵のメッセージだと私は確信する。



響き合う


人から先に


和音の輪。