満足は 出来ぬからこそ 終わらない アモン。 | 慧アモンの和可知愛フォーラム

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哲学、アート、次世代の価値観

あなたは自分の書いたものを、あるいは誰かのものを何度ぐらい読むだろうか? 実は、私は意外なほど自分の過去のものを読んでいる方かも知れない。 もちろん、誤字脱字や変換ミスなど、思ったより多いことに気付く、、、、それはそれで最終的な原稿では、修正しようと思う。 ところが前回の最後のあたり、、、、そんなミスというより、もっと大きな欠落に気付いた。 我ながら、まだまだと言わざるを得ない。 老子やナポレオンの負の要素、つまり影の部分に言及したのはいいとして、やや捕捉が必要だろうと思う。 どんな英雄でも、カリスマでも順風満帆のまま人生を終える人はひとりもいない、、、、このあたりが説明不足に終わっているように思える。 最初から最後まで、順風満帆な人はひとりもいないという表現が適切だろうと思う。 私は決して彼らの評価を落とす意味で、影の部分に言及している訳ではない。 むしろ、その反対に影の部分にスポ
ットを当てることによって、もっと身近な人として感じてもらう目的があった。 どんな偉人だろうと、完璧でもなければスーパーマンでもなく、悩んだり悲しんだりする、、、、、そんな等身大の人間と捉えてこそ、その魅力や光が増してくるのでは? そんな思いが、今ではすぐに新しい句になってしまう、、、、もう、ほとんど病気というランクかも知れない。 まぁ、哲句の創始者ということで、そのあたりは大目に見てもらえればと思う。 もし、前回のものにそれなりに満足していたら、、、、、今日のこの句も、こんな文章も存在しなかったことになる。 そう思うと、なんだか満足しないということも、それなりに捨てたものではないのかも知れない。 そう言えば、すでに何冊かの書籍が世に出回っている人に、こんなことを言われたことがある。 「あなたの文章は無駄がなく完結しているし、普通は見逃してしまうようなところに切り込んでいるから、玄人受けは
すると思う。 ただそれ故に少し説明不足かも知れない、、、、」そんな内容だったように記憶している。 確かにそうかも知れないと、今日は特に思ってしまう。 私は、大抵の人は大抵のことは知っている、という前提で書いているのだろうか? もし、そうだとしたら物書きとしては、まだまだ修行が足らない、、、、そんなことをつらつらと考えている、今この時を無駄にせず日々精進あるのみ! 前回の最後のあたりで、少しでも違和感を覚えた人がいたとしたら、あなたは相当の編集者かも知れない。 これに懲りずに、末永くお付き合いを、というなんとも無様な結末。 これもアモン、それもアモンというところだろうか、、、、。 満足は 出来ぬからこそ 終わらない。