IT企業で勤務していた時の地獄の3選 | 長野県松本市へ移住後の暮らしについて

長野県松本市へ移住後の暮らしについて

2022年2月で会社を退職し、同年4月に千葉県浦安市から松本市へ移住しました。
松本の天気をライブカメラで写しています。
1.https://www.youtube.com/watch?v=ATfoS8xsPjI
2.https://www.youtube.com/watch?v=WoBphz9tu3Q

私は1990年4月にIT企業に就職しました。

 

今でも覚えている体力的にきつい体験を少しばかり紹介

1.某スポーツ大会のリザルトシステムのシステムテストで、メンバーを車で順に生き返りピックアップする事を2週間しました。

次のルーティンです。(当時は28歳だったので可能だったと)

 

朝4時に起床->着替えをして、当然朝食などはスル->社用車がある駐車場へ徒歩10分かけて移動->運転して5人をピックアップしながら現場まで

車で1時間30分で移動->現地に8時前には到着した記憶->システムテスト(競技開始)開始->21時くらいまで練習含めて選手は競技をしていた->選手の競技終了後に明日の準備が開始。0時事頃に終わり車で5人を下ろしながら駐車場へ->徒歩で自宅へ->風呂と軽食食べて2時に就寝

 

つまり2時間しか寝ていない生活を2週間していた。当時は月残業時間は35時間以上つけないように言われていたので当然ながらそれ以上はボランティア状態でした。

 

2.某都市銀行のネットワーク機器更改(ATMがつながっている勘定系ネット)は毎週、6ヶ月間行われた。土曜日18時に銀行のセンターに出勤し、深夜に変更作業、(ネットワークの仕事をしている方は当たり前にやる前後の経路が同じ状態+経路追加した分の反映がされているかをチェック。都市銀行のネットワークルートは莫大な数で手作業でできないために先人が経路前後比較プログラムを作成して実施するが当時のパソコンスペックは低く、終わる迄4時間もかかる)、後片付け、反省会を経て翌12時に解散。つまり18時間勤務です。これが毎週あり、寝るのが日曜日の帰宅後なので14時頃に寝て夕方18時におきると夜寝れなくなり、月曜日は寝不足で出勤(代休とればと思う人もいると思いますが、システム変更後の翌稼働日は朝7時から待機が当たり前なので月曜日はなにもおきない事をお祈りする日)するルーティンが過労死寸前状態でした。

 

3.コールセンターを新規構築と汎用機リプレースのプロジェクト

これは何を意味するかというと、通常はシステムを新規に構築する場合でも更新する場合でも、うまくいかなければフォールバックという変更前に状態に戻すという事をします。ところが汎用機のリプレースとは汎用機の保守が終了してリプレースするので戻すという概念がないため、コールセンターを新規に構築するスケジュールは当然、汎用機が更新されると同時に行われ、フォールバックもできない1発勝負で失敗は許されないプロジェクトでした。業種は消費者金融だったので電話で借用や返済も電話のプッシュボタンでする時代で失敗したら損害賠償ものでした。正直、IT系の経験がある人はご存じかもしれませんが、金融系、カード系の仕事はできればさけたい業界(他の業界より心身ともに辛い仕事が多い。何人も退職する人を見てきました)

このプロジェクトはインフラ以外に開発系もあり、さらにのスケジュールもタイトで、予想どおり4ヶ月間毎日終電がなくなる1時すぎに終了でタクシー帰りの9時にはお客様ビルへ出勤する生活でこちらも過労死寸前(実際にシステムは無事に移行しましたが、自分の体がボロボロで手足のしびれなどの不調で1ヶ月休暇取得する事になり、その時のしびれの後遺症を今もかかえています)

 

体力的にきつかった上位3件でした。