現在、世には多くの仏教経典が存在しています。

 

とくに大乗仏典と呼ばれる一群の仏典が、比較的最近まで仏典の主要部分を占めていたという歴史があります。
 

なぜ、大乗仏典は沢山あるのでしょうか?

 

これについては、2023年8月3日の記事に書きました。

 

 

 

ここでは、先に記事において述べた「大乗仏典は、それを著したそれぞれの仏の世界観を反映したものであろう」ということや「経典の数は沢山あった方が人々の役に立つ可能性が高まるし、またそれぞれの経典の内容は互いに独立性が保証されることとなり、布教の利点とすることもできるでしょう」ということについて追記します。

 

さて、大乗仏典が世に提示されたのは紀元前1世紀ころからおおよそ6世紀頃にわたってのことであろうと推定されます。

 

この間に、複数のブッダが世に出現し、彼らが適宜に製作した仏典が大乗仏典であると見ることができるでしょう。

 

そして、多くの場合、複数のブッダが互いに意見を交換しつつ一つの仏典を作り上げたと推認されるのです。

 

その一つの根拠として、ほとんどの大乗仏典にはそれを作ったブッダの名前が記されていないことを挙げることができるでしょう。

 

つまり、複数人で、しかも幾世代にもわたって編纂された仏典であるためにそれを一人のブッダの作とするわけには行かなかったし、その必要もなかったのでしょう。

 

すなわち、大乗仏教教団が帰依者に示すテクストとして用いたのであり、作者が問われることそれ自体がなかったのであろうと思われるということです。

 

なお、それぞれの大乗仏典は、その編纂に関わったブッダたちの世界観を反映したものであり、一人のブッダの世界観の反映とは限らず、複数のブッダの共通の世界観を書きとどめたものであると見るのが現実的でしょう。

 

逆に言えば、ある大乗仏典の世界観が複数のブッダの作仏に直接的に寄与したものであるとも考えられ、その意味において大乗仏典は仏教信者を覚り(=解脱)に導く強い威力があることが厚い実績とともに世に上梓された経緯がある可能性さえも推認できるかも知れません。

 

要するに、多くの大乗仏典は、そのどの世界観を仏教信者が具体的に抱くとしても、それが必ず功徳を積むことに役立ち、修行者を速やかに作仏に導くものと期待され得るということなのです。

 

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