教師の間でも、精神疾患が増えているニュースが飛び込んできました
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101224-OYT1T00904.htm

もちろん社会的にも精神疾患は増えていますので、ある意味当然ではあるのですが、それでも残念です。

指導する立場の人の心が病んでいたら、教えられる側にも決して良くない影響を与えるでしょう。


とはいえ、昔は、「聖職」といわれたはずの教師という職業ですが、その教師を取り巻く環境は様変わりしました。


普通の仕事は、受注や生産やら何らかの数値の成果がありますが、教師の仕事の成果はその時々では評価は難しいと思います。

実際、子ども自身が成長して何年も経ってから、あの時の先生に感謝するなんてことも、結構多いのではないでしょうか。

それでも教師の成果を早い段階で求めすぎているような気がしています。

何か問題があれば、学校にクレームを言ってきたり、マスコミにリークする保護者がいて、また真実は何かを横に置いといて、この手の話題はすぐ取り上げるマスコミがいたりして、結局学校が保護者に謝罪するしかないような結末になっているケースが多い気がするのは私だけでしょうか。

少し前、私の地元の大阪でも、一部の新聞ですが、これは果たして取り上げ方としてどうなのかと疑問を持つニュースがありました。

いじめた児童を学級通信で「バカ」 大阪の小2担任教諭
http://www.asahi.com/national/update/1026/OSK201010260047.html

やり方には問題はあるとしても、生徒のいじめに対応しようとして保護者に理解を求めた教師です。
もっと違う報道はなかったのでしょうか。

まして、ちょうど、群馬県桐生市の学校がいじめを放置(?)した挙句、小6が自殺した事件と同じ時期でした。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101026-OYT8T00626.htm


精神科医の香山リカさんはその著書、「悪いのは私じゃない症候群」の中で、「萎縮する教師、保身に走る学校」と書かれています。

高校以上の学校だと、教師の評価を学校サイドが判断するのは危険として、生徒に無記名の授業評価アンケートを取ることがあるそうです。

すると「服装がダサすぎる」とか「気持ち悪いのでこちらを見るのをやめてほしい」とか、授業内容の改善どころか、教師の人格を否定するようなものがあり、言われた教師は本当に傷つきます。

そうなると、授業中うるさくても「静かにしなさい」と言う気力さえ失せてしまい、そういった萎縮や放任が、さらなる悪循環につながることを想像することは難くありません。


学校側がまっとうに教師を評価できなくなったら、やる気のある教師ほどジレンマに苦しむことになりかねません。



2006年6月、子どもが好きで教師になってわずか2ヵ月、自ら命を絶つ事件がありました。

その亡くなる1週間前、保護者が校長室に指導へのクレームに駆け込み、教室に行き授業をのぞいてました。

また連絡帳には、「結婚や子育てもしていないので経験が乏しいのではないか」といった保護者からの理不尽な意見もあったようです。

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20100218-OYT8T00311.htm



先生が責任をとって自殺するパターンは、教育の現場としては大きすぎる不幸です。

子どもたちに、苦しかったら死ぬというオプションがあることを身をもって示す形になります。

そういった事態には絶対になってほしくないし、そうなる前に先生を守らなければなりません。



教師が悪い。学校が悪い。会社が悪い。上司が悪い。医者が悪い。

意味の無い犯人探しをして、結局、頑張っている人がバカをみるような社会にはしたくないと心から思います。


負けるな。先生たち!!


http://www.roumusupport.jp