2カ月ぶりの投稿である。グッ

 

 昨日の主日礼拝に、久しぶりに高2の孫娘のMちゃんが参加してくれて嬉しかった。牧師先生の説教は、いつも長いので眠気覚ましにコーヒーを淹れて持って行く。コーヒー

 

 説教は「いのちの声」と言う題で、聖句は「申命記18:16-17」であった。案の定、途中で眠気が来たので、コーヒーを飲み、それでもスッキリしないので、持って来たチョコチョコレートを口にしたら、やっと元気が出て頭がスッキリして、御言葉が正確に捉えられ、感銘を受けて涙が出て来た。

 

 内容は、モーセの時代は神の声を聞いたり、神を見たりすると死ぬと思われて、神の声は2度と聞きたくないと言っていた。それほど神を畏れていた。驚き

 

 それを、神が人間となって来られたイエス様は、私たちに優しく親しく神のことばを教えて下さる。私たちは畏れるどころか、返ってイエス様を無視し、非難してそれを拒否した。ウシシ

 

 モーセはイエス様を予表し、ペテロパウロは、イエス様が内側におられて、神のことばを語った。炎

 

 「ことばが世の全てのものを創った。」(ヨハネ1:3 参照) そのことばが、どんなに尊く何ものにも代え難い宝物であるか。キラキラ

 

 そのことばを聞く事を、畏れていたモーセの時代の人々に比べて、私たちは容易にそれを聞く事が出来るし、巷に溢れている。飛び出すハート

 

 そのことばを、私たちがどれ程尊く思い、貴重に思って、ペテロやパウロの様に、当時の人々に感化を与えて、一度に何千人と言う人たちが、救われていった様に(使徒 2:41、4:4)、私たちも身近な人たちに伝えて、救いに導きましょう。

 伝える人がいなければ、皆、滅びの門から地獄ドクロに行くしかない事を思えば、私たちクリスチャンが口を開く事を、どんなに主が願っておられる事でしょうかと言う内容であった。王冠2

 

 モーセも最初は、私の様な者がその様な大それた事は出来ません。私は口下手ですとか、何とかかんとか言って、断っていた。(出エ 4:10、13 参照)大あくび

 

 主が用いれば、主が力を与えて下さり出来る様にして下さる。モーセペテロパウロも、ギデオン士師記 6:15 参照)も皆そうであった。私がやるのではなく、主がして下さる。そのことばを聞いた時に、今家族や友人知人を導こうとして、苦労している自分に当てはめて、感動した。ハート