私たちの教会の牧師先生が、昨年の後半辺りからよく「律法完成」と言う言葉を口に出され、来年からそれについて学ぼうと思いますと言っておられた。最近までその意味するところがよく分からなかった。今年になってその「律法完成」について書かれた韓国語の本の序章を日本語に翻訳されて、私たちに配られた。メモ

 

 マタイの福音書5,6,7章の「山上の垂訓」と呼ばれる部分の解説であった。イエス様の公生涯の初期の時代に語られた内容であるが、私にとってはただ読んで過ぎる程度のものでしかなかった。「心の貧しい者は幸いです。天国はその人たちのものです。」(マタイ5:3)を見ても、「あ、そうなのか。」くらいに思っていた。ハート

 

 8つの項目があるので「8福の教え」と捉えられて、私たちが守るべき8つの教訓と思っていた。ところが5章の後半を見ると、「右目が罪を犯せば、えぐり出して捨てなさい。」とか、「右手が躓かせるなら、切って捨てなさい。」(マタイ5:29‐30)と言うところに来ると、「とてもそんな事は出来ない。これは例えばの話。」と思っていた。ドクロ

 

 要するに、これは私たちが守るべきものではなく、私たちには守れないので、イエス様が代わりに成就して下さり、その完成して下さったイエス様を信じることによって、私たちを救って下さると言う信仰の対象である事を教えて下さった。だから「山上の垂訓」とよぶべきではなく、「律法完成」と呼ぶべきであると言われた。(マタイ5:17グッ

 

 

 最近、YouTubeで「雅子皇后の語学力の素晴らしさ」についての報道をよく見かける。天皇皇后両陛下が外国の首脳を宮中に招かれたり、また外国訪問の際にその国の国王や色々な施設を訪問された時の、雅子様の6か国語を自由に話されることが称賛の的になっている。今までの国内でのつらい時期を長年過ごされて、それに対する報いのように思われて涙が流れた。拍手

 

 また、数年前に孫たちの通っている小学校の卒業式に参加した際に、式が終わってクラス担任の先生を先頭に、生徒たちが順番に退場する時、竹の子クラス担当の男の先生が、顔をぐちゃぐちゃにして泣いている姿を見て、もらい泣きした。我が家の孫のS 君が同じ竹の子クラスに通っていて、今年6年生になる。えーん

 

 まったく比較する事は出来ないが、雅子様や竹の子クラス担当の先生が経験されたご苦労は、非常に私たちに分かりやすいが、イエス様の生涯を思う時に、私たちの罪を背負って十字架にかかって下さり、私たちを救って下さった内容は、私たちには測り知ることが出来ない。十字架

 

 律法を完成して下さったイエス様の事を思っている時に、上の2つの事がふーっと浮かんで来たので書いてみた。ニコニコ