今日は、水曜日で分かち合いの日であった。「日ごとに湧く泉」のイザヤ書の49₋51章を読んで、分かち合いを終え、いつも1時間の異言の祈りをするのだが、この日は分かち合いの前後に、牧師先生のメッセージがあった。
分かち合いの前には、牧師先生が日本に宣教に来られた30年前の頃からの歩みを話されて、今後の教会の 新しい方針が語られて、希望を感じた。
異言の祈りの前のメッセージに、心を打たれるものがあった。
"信仰は、抽象的なもので無く、実体である" と言う言葉に、心が響いた。
エペソ11:1「信仰は、望んでいることを保証し・・・」(新改訳2017年版)の韓国語の聖書の訳は、「信仰は、望んでいることを実証し・・・」となっていると。そして、望んでいることはイエス様である。
信仰は、信仰の創始者であり、
信仰は、実体の方を信じるのである。
人々の感情によって、実体は変わらない。この2つにも納得がいった。
イエス様は実体だから、その方を信じる者は救われるし、
この方を信じる者は、この方のことばを信じる。
抽象的概念は、受け取る人々の考えによって変わり得るが、実体は、人々の考えによって変わり得ない。