牧師先生が牧師セミナー他で訪韓する為、6月の第1週の主日礼拝の説教を私が担当する事になった。一応、メッセージのテーマは「御霊と真理による礼拝に決まったが、起承転結の締めの部分の盛り上がりが無いなと感じ、考えあぐねていた。もやもや

 

 今日の早天メッセージで、ピリピ1:21の「私にとって生きる事はキリスト、死ぬ事は益です。」を聞いて、思わされた。十字架

 

 礼拝は、イエス様に会うための礼拝であり、毎週日曜日に礼拝があるのも、今から2,000年前、週の初めにマグダラのマリヤ初め他の女性たちに、復活されたイエス様が現れて下さった事を記念して、行われている。(ヨハネ20:1₋18 参照)昇天

 

 「神は霊であるから、神を礼拝する者は、御霊と真理によって礼拝すべきである。」(ヨハネ4:24キラキラ

 御霊による礼拝は私達クリスチャンの内側に来て下さっている聖霊に導かれるものであり、真理による礼拝は御言葉であるイエス様を啓示している聖書に従って礼拝する事であると思う。おねがい

 

 即ち、イエス様の霊である聖霊と御言葉であるイエス様を現す真理による礼拝とは、イエス様その方を礼拝する事である事に気づく。ニコニコ

 

 パウロが言う様に、「生きる事はキリストであり、死ぬ事は益である。」(ピリピ1:21十字架

 私達が生きる目的は、キリストに会う事である事を思えば、聖書の中のすべての人物が、その為に色んな道を通過させられながらキリストと出会い、その為に聖書に記されている事件に遭遇している事に気付かされる。ハート

 

 その一人ひとりの人物を紹介しながら、メッセージの結びを、信仰を持って生きる事の大切さを述べたら良いのではと、思わされた。グッ