私たちの教会では、毎週、主日礼拝が終わる前に、司会者が3つの宣言文を読み上げる。①毎日聖書通読をしましょう。②毎日1時間お祈りましょう。③毎日福音を延べ伝えましょう。グッ

 そして毎日、朝と夜に1時間お祈りするが、その間にいくつかの宣言がある。昨晩の「血潮を宣言する祈り」を聞いていて、ふと思った。ハッ

 

 「・・・私たちの目はまっすぐに主を見つめ、聖霊の光で照らされたものを見極め、私たちの耳は主の声を聞き分け、右に行くにも左に行くにも主の声に聞き従う。

 私たちの鼻はキリストのかぐわしい香りを嗅ぎ分け、私たちもキリストのかぐわしい香りを放ち、人々に主の臨在を知らせる。気づき

 私たちの口は一日中、神の栄光をほめ歌い、悪しきものを追い出し、人々に慰めと励ましを与え、人を生かす命の言葉を語る。くちびる・・・」

 

 これは、まさに人間が堕落する前のエデンの園の姿ではないか。そして、堕落して罪人となった人間が、イエス様の十字架の血潮による贖いを信じ、救われて入る千年王国の姿ではないかと思った。雷

 

 それほどに、私たちは主を仰ぎ、主に聞き従い、主をほめ讃える。天国に行ってもイエス様の手の釘跡は、私たち罪人がその故に救われた証しとして、永遠に無くならず残っていると牧師先生から聞いた。十字架

 

 今日、「中川牧師と巡る旅:【エイン・フェシュカ】千年王国の予兆」を見て、千年王国では、自然界も元の状態(エデンの園)に戻り、動植物の被造物自体も、滅びの束縛から解放されて、うめき苦しみを解かれる(ロマ8:21₋22)事を、改めて教えて頂いた。音符

 そして私自身、このロマ書8:19₋23の内容が、目からうろこが取れたように、はっきりと理解することが出来、感謝した。ハート