今朝の早天祈祷会で、いつも一緒に参加しているYさんが、
今朝は、ピリピ1:1-2の聖句の解説であった。「
しもべは主人の願いを果たす。主人の言う事に聞き従うことによって、自分の必要が全部満たされる。主人であるイエス・キリストが満たして下さるのであって、自分が何かしたから満たされるのではない。
先ほど、Yさんが「父の御心を行うものが天の御国に入る」と言う話をしたが、私たち罪人は、父の御心を行うことが出来ない。
イエス・キリストが、信じる私たちの心に、父の御心を行う力を下さらなければ、それが出来ない。
ヤコブ2:17には、「行いの伴わない信仰は死んだものです」と言っている。
パウロは「あなた方は恵みのゆえに信仰によって救われたのです。それは自分から出たものではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。」(エペソ2:8)と言っている。
ある聖書講座で講師の先生が、神学校の苦学生がある学科の単位が足らなくて進級出来ない時に、担当教授が下駄を履かせてパスさせて下さった場合、その恵みに感謝して次は頑張ろうと思うものである。と言う話をされて、恵みと信仰によって救われたら、行いは自然と付いて来るものであると言われた話を思い出す。
「~ねばならない」と思うと苦しくなるが、恵みを頂くと「~したくなる」のである。
そしてヤコブもパウロも、言いたいことは同じですと言っておられた。