昨日、親戚であり友人であったA氏の告別式に参加した。葬儀が終わり、火葬場に行き遺体を火葬にする前に、焼香して礼をする儀式があったが、私はその列から外れた。
死はサタンが介入した結果、生まれた事であって、本来人間は永遠に生きる様になっていたので、遺体に礼拝する事は、サタンを礼拝する事になると思ったからである。 「死は、キリストの最後の敵として滅ぼされます。」(コリントⅠ15:26)
クリスチャンの孫娘は、自分の祖父であるのでその儀式をやったが、その時にイエス様の名前を唱えながらやったら良いよと、親しくしているMさんからアドバイスされ、その通りにしたと。
「人間は一度死ぬ事と、死んだ後に裁きを受ける事が定まっている」(ヘブル9:27)。一度死ぬ事は、肉体の死であり、死んだ後の裁きは千年王国の後にある白い御座の裁きで、イエス様を信じない者に対するもので、これが第二の死である。
この事を本当に理解していたならば、親しい人々が亡くなる前に、もっと真剣に伝道に取り組んだはずである。
ところで、クリスチャンがイエス様の空中再臨の時に与えられる栄光の体は、骨も肉もあり、魚も食べ、鍵のかかった部屋に入る事が出来、永遠にイエス様と一緒に生きる体である。(ルカ24:39-43、ヨハネ20:26)
私達には想像も出来ない。3次元の考えで4次元を理解する事は出来ない。神は∞次元である。聖書の奥義は、信じない者には秘密である。神であるイエス様は、「不思議な助言者、力ある神・・・」と呼ばれた。📜(イザヤ9:6)
全ては主の御手の中にあり、主が責任者であるのに、私達は、イエス様に関心があるので無く、人間とこの世に関心がある。我々の理性に合うものは信じ、合わないものは信じない。
主の観点でなく、人間の観点ではイエス様を知る事は出来ない。我々が主を信じる事は、主の恵みである。
「あなた方は、恵みの故に信仰によって救われたのです。それはあなた方から出たもので無く、神からの賜物です。」(エペソ2:8)