今日の早天メッセージの前に、いつもの「昨日は如何でしたか?」の牧師先生の質問に、Yさんが昨日読んだ「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て自分の十字架を負って従いてきなさい。」(マタイ16:24の聖句を上げながら、「自分の十字架が分かりません。」と言った。十字架

 

 牧師先生が「イエス様が十字架にかかって死んだのはどうしてですか?」と聞かれ、「自分の罪の為」と答えた。ドクロ

 

 誰でも自分の罪を認めたがらない。自分にも少しは良い所もあると思う。キョロキョロ

 今日のメッセージの聖句箇所は、ヨハネⅠ 1:6であった。「神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩いているのなら、私達は偽りを言っている。

 「サタンが偽りの父」(ヨハネ8:44)であり、偽りを言う私は、サタンの子になる。ガーン

 

 罪を赦す事が出来る方は、イエス様だけであるドキドキしかし、罪を認めない限り赦される事もない。しかも赦しは恵みであるキラキラそれが中々分からない。

 

 昨日の、十字架を思い描く事が出来ないが、トイレットペーパーを巻いたり、教会までの道のりを思い描く事は出来るのだから、私たちがイエス様の事をもっともっと知って当時の時代背景にも通じると、イエス様を十字架に付けた本人が自分である事が分かるようになるえーん

 

 それで、聖書通読する事も良いが、四福音書を何回も何回も読み返しなさいと言われた牧師先生の言葉も、納得出来る様になった。グッ