先日のハーベストタイム・ミニストリーで「人生は天幕生活」を見て、すごく感銘を受けた。
信仰の父と言われるアブラハムは、サラを葬ったマクペラの地以外に生涯、土地を持たず(創23:17₋18)、天幕を張りながら羊を飼い、草が無くなれば移動すると言った天幕生活をした事を知った。
その中で神様からの語りかけがあり、故郷を捨て主が言われるカナンの地に向かった。(創12:1 参照)私の言葉に従えば、あなたの子孫は増えて祝福を受ける。「私はあなたを祝福するものを祝福し、あなたを呪うものを呪う。」(創12:3)と言われ、アブラハム契約を結んだ。
主は、初めから祝福の神であり、私たちに愛と憐れみを溢れる程に与える主であるのに、私たちは内在する罪の性質故に、その主に心を向けず、返って反抗して来た。
「聖書は私を証しするものである」(ヨハネ5:39)とイエス様ご自身が仰っている様に、聖書の至る所にイエス様の姿や性質が隠れて、表されている。
私たちの人生の何処かで、イエス様と遭うチャンスがある。街角で配られるトラクトを通して、映画で感動した場面を通して、流れてくる歌の歌詞に触れて、友人を通して等など。
私たちの人生は、長くて100年、全ての人がいつかはこの世を去り、霊の世界に旅立つ。有限なこの世界に生きている間に、イエス様を知る事がどんなに大切な事なのかを、多くの人々が知らない。
この方だけが、私たちの罪の代わりに死んで下さって、私たちを罪の世界から贖い、救って下さった。(ペテロⅠ2:24 参照)その事を信じ、イエス様を「私の救い主」と受け入れれば、私たちは救われる。(使徒16:31 参照)
この世はサタンが支配する世界であり、世の終わりには主を信じない全ての人々は、サタンが行く事になっている火の海(永遠の地獄)に投げ込まれる。(黙20:10、15 参照)
「罪の報酬は死だからである。」 (ロマ6:23)
有限なこの世の旅をしている私たちは、肉体のある内に主を受け入れる事によって、永遠の天の御国でイエス様と一緒に、素晴らしい、喜びに満ち溢れた天国生活を永遠に、楽しみ享受する事が出来るのである。
このイエス様を、愛する私たちの家族、友人・知人に伝える事を主が願われ、そして、出来るだけたくさんの人々を救いに導く事が、私たちクリスチャンに与えられた尊い使命である。(ヨハネ3:16 参照)