今日の早天メッセージは、ガラテヤ6:7-
「失望せず善を行いましょう。時が来れば刈り取る事になります。
この地上で肉を持って生きている限り、罪を犯し続ける。
律法は、私達が罪人である事を知らせるものである事も学んだ(ロマ7:7)。
いつもの1時間の異言の祈りが終わった後のコーヒー︎
聖書には人を分け隔てしてはいけないとある(ヤコブ2:1)。また、イエス様は、
と言う事は、この世の人間関係よりも信仰による人間関係の方が、
また、天の御国では、嫁ぐとか娶る事はなく、
要するに、この地上の基準で、御国での生活の内容を判断することは出来ないと言う事である。この世で、素晴らしい家庭を築いて幸せな生活をしている人もおれば、反対に家族に恵まれず不幸な生活を強いられている人もいる。外的な生活環境の良し悪しで幸・不幸を論ずることは出来ない事、御国ではそれが逆転している事を、アブラハムの懐に抱かれた、この世で乞食だったラザロの話は教えている(ルカ16:19-31)。
神様は外見を見るのでなく、その人の心を見て判断される(サムエルⅠ16:7)。
「イエス様を信ずれば天国、信じなければ地獄」と言う事を聞いた時、信仰と言うものが、どんなに偉大なものであるか、素晴らしいものであるかを、改めて思い知らされた。
パウロは、天国(第3の天)を見て来て余りにも素晴らしいから、できる事なら早く天国へ行きたい。しかしあなた方の為にここに留まっていると言っている(コリントⅡ12:1-6、ピリピ1:23-24 参照)。
牧師先生が机の上のチリ紙を丸めて、ごみ箱へポイと捨てられて、これでチリ紙が文句を言いますかと言われた。人間も「土のチリから創られて、その鼻に息(霊)を吹き込まれて生きた者になった」(創2:7)。息(霊)が無ければチリくずと同じで、捨てられて当然であると。
だから、信仰の素晴らしさ、イエス様を信ずることの偉大さを知った。その事はどんなに強調しても強調しすぎる事はない。