今日は水曜礼拝で、私のメッセージ当番の日だった。ルツ記を通して学んだ事を話した。ルツ記は、買い戻し(救い)の権利がテーマであり、ルツは花嫁👰‍♀️としてキリスト教会の型、買い戻しの権利のあるポアズは、私たちの贖い主・キリストの型である

 

 イエス様が生まれる千年も前に書かれたルツ記を通して、イエス様の十字架による贖いを予知している事に驚き、まさしく聖書はイエス様ご自身が証しされたように、イエス様について書かれた本である事を改めて思った。📕

 

 終わって、賛美の声も頂いたが、少し短かったので、「もう少し贖われてから後のいのちが、どうなったかについても聞きたかった」と言う声もあって、それを聞いて「あ、そう言う事に準備段階で気ずかせて頂いていたら、もっと満足するメッセージになったかな。焦って祈りが足りなかったな。」と思った。アセアセ

 

 今日はまた、水曜日で分かち合いの日であった。メッセージの後、いつもの「日ごとに湧く泉」のテキストを用いてグループに分けて行ったが、今日の聖書箇所は、イエス様が悪魔の試みに会われた所で、ルカ4:1-13であった。台風

 

 <研究と黙想>の項目の設問に「人の体を持って来られたイエス様が、3つの悪魔の試みに勝たれた理由は何ですか。」と言うのがあった。私は、「言葉は霊であるから、それに打ち勝つ申命記の御言葉で答えられたから。」と答えた。星

 

 今回も同じグループであったMさんは、牧師先生がいつも言われる「イエス様は律法の創始者であり、それを解釈し、完成した方であるから。」と答えた。私はその答えに「うーん。」と唸った。乙女のトキメキ

 

 次に<決断と適応>の項目の設問の、「最近、あなたが肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などの誘惑に負けてしまった事はありますか。ガーン 聖霊充満と御言葉によって試みに勝たれたイエス様に見習う為に、今決断しなくてはいけない事は何ですか。」に対して、やはりMさんが、勝ち負けに焦点が行くのでなくて、イエス様に目が行っているかが問題と答えた。チョキ

 

 もう一人のKさんは、イエス様に見習うのでなく、見習う事は出来ないから頼る。自分で戦うので無く、大祭司であるイエス様から目を離さず、イエス様に戦って頂くと答えた。十字架

 

 私には最後に回って来たが、2人の答えにただ感銘を受けて、「同意します。」とだけ言った。くちびる

 

 イエス様が誘惑に会われた山は、エリコにあった。去年のゴールデンウイークにイスラエルに行った時、初めて知った。エリコはパレスチナの管理区域にあって、山に登るケーブルカーの受付嬢はモスレムの女性であった。ニコ