昨日の主日礼拝において、私が代表祈祷の当番であったので、どう言う内容のお祈りしたら良いかと思いつつ、教会に向かった。
いつも我が家庭を如何にしたら、クリスチャンホーム🏠に出来るかなと言う思いがあったので、その事を思い祈り求めていたら、ふとアブラハムの事が思い出されて、彼は「主の示す地へ行きなさい。私はあなたの子孫をあの空の星の如く、多いに増やす。」と言う主の声に聞き従って、故郷を後にして行った。
その事を通して、私のクリスチャンホームも、アブラハムの信仰に倣って行けば、祝福されると言う思いが来て、その事を祈ったら、続く言葉が導かれて良い祈りが出来た。
説教の時間になって、今日はいつもより頭が鮮明だったのか、牧師先生が語られる御言葉が、脳裏に適格に印字される様で、心地よく響いた。
それが、後半になって眠気が襲って来るや否や、その御言葉が印字されなくなった。
その事を通して、次の事が思い起こされた。毎日、家族がテレビのお笑い番組などを見て、過ごしている。クリスチャンである私と孫娘は、子供や孫たちに、イエス様を証ししようと思っているが、世の霊の影響が強くて、なかなか難しい。
証しや御言葉が、彼らに届く為に、何が必要かなと思った時に、その土壌造りに、私と孫娘が、主の証し人として仕えて行く事が大切だと思った。
時間はかかるが、その種まきをしておれば、いつか時が来れば芽を出し、実がなることを信じて。
主の教えを喜びとし ♫
昼も夜もその教えを口ずさむ
その人は水路のそばに植わった木のようだ
時が来ると実がなり
その葉は枯れない
その人は何をしても栄える(詩篇1:2-3)