毎週水曜日は、教会で「日ごとに湧く泉」と言うテキストを用いて、分かち合いをしている。ハート

 

 今日の分かち合いの箇所は、イザヤ書34:1-17のところであった。メモ

 

 ここに「主が怒り、彼らを聖絶し、彼らが虐殺されるままにされた」(34:2)とか、「私の剣に血がしみ込んでいる」(34:5)とか「彼らの地には血がしみ込み、その土は脂肪で肥える」(34:7)と言う、余りに凄惨な内容が書いてあった。ドクロ

 

 そして設問の1つに、「神様に敵対して罪の奴隷として生きるエドムが、徹底的に裁かれる姿を見て、何を感じますか。」と言うのがあった。真顔

 

 私は、この設問を見て、マタイ25章の白い御座の裁きで、羊と山羊が分けられて、羊は天国に、山羊は燃える火の中に投げ入れられる所を思い出した。(マタイ25:31-46)羊メラメラ

 

 私はこの箇所や、似たような裁きの場面に出くわす度に、地獄に投げ入れられる人たちに、何か同情の様な気持ちが働いて、何とか救われる道は無いのだろうかと言う思いを持っていた。はてなマーク

 

 似たような裁きの場面の1つは、ヨシュアが主の命令に従って、カナンの地の31人の王を滅ぼし尽くし、彼らを容赦なく聖絶し、根絶やしにした事である。驚きである!(ヨシュア11:20、12:24 参照)ドクロ

 

 ところが、昨日予習でここの所を読んで、主がこんなにも聖絶する程に怒って、聖絶とか虐殺とか剣に血がしみ込んでと言われるのは、彼らは主に背を向けて全く回復する気が無く、放置すれば更に罪を犯すしか無いのだと言う気づきを与えられ、今まで、つっかえていたものが解消された感じがした。びっくり

 

 イエス様もエルサレムを非難して「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、お前の子らを集めようとした事か。それなのにお前たちはそれを望まなかった。」(マタイ23:37)と言っておられる。ガーン

 

 神様の愛が、全く通じない人達がいるのだと思った。アセアセ

 ただ、イエス様の十字架の時、今までさんざん罵っていた右側の強盗は、悔い改めた時、天国に入れられた。十字架

 また「ミッション・バラバ」(注)のヤクザの人達が、悔い改めて牧師になっている人たちもいる。

 彼らも悔い改めれば、救われるのに、その事が通じない。パンチ!

 

 「わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって『わたしはここだ、わたしはここだ』と言った。わたしは終日、頑なな民に手を差し伸べた。」(イザヤ65:1-2)お願い

 

 「しかし、おまえたち、主を捨てる者たちよ、・・・わたしはおまえたちを剣に渡す。それでお前たちはみな、虐殺されて倒れる。わたしが呼んでも答えず、わたしが語り掛けても聞かず、わたしの目に悪であることを行い、わたしが喜ばないことを選んだからだ。」(イザヤ65:11-12)むかっ

 

 悔い改めも、聖霊の働きがないと出来ないのだと思った。キラキラ

 

 

(注)ミッション・バラバ「刺青クリスチャン、親分はイエス様」は、講談社から文庫本として出ている。