一つテンヤ釣法は、「できるだけ小さく軽いテンヤ一つで、落ちてくる餌を捕食する鯛の習性を利用する釣法」として編み出したもの。ところがいつの間にか、重いテンヤで底を叩くようになり、遊動式テンヤまで市販されるようになった。
今、釣具店を覗くと、5~15号ほどのカラフルなテンヤがずらりと並んでいる。
もう17,8年ほど前のことだろか、勝浦水産高校を卒業した大原・新幸丸の4代目、山口大地君が船にのるようになった。客の少ないときは自分でも竿を出し、鯛釣りも結構な腕前になっていた。
それから数年経って彼が舵をにぎるようなってからのこと。
「藤井さん、もう軽いテンヤじゃ釣れませんよ。重いテンヤやタイラバの方が、釣果は断然伸びてますよ」と大地君の一言。
だが昨日、最後の一流しのシーアンカーを入れたあと、
ところが今回の釣行で大地船長は、
「藤井さん、20年前と全然変わんないですね。エッ、来年で80歳、ホントに。でも見た目はホント、俺が船に乗った頃と変わんないですよ」とお世辞を言ったあと、「やっぱ浅場で軽いテンヤ使っての釣りが一番面白いですよね。50~60メートルの深場で8~10号テンヤで2,3キロの鯛を掛けても、ちっとも面白くないもんよ。軽いテンヤで10~20メートルの浅場でキロに満たない鯛を掛けんと、いきなり横っぱしりするじゃないですか。全然こっちの方が楽しいですよ。それに最近、感度の良いひとつテンヤロッドが出たんですよ。握りがカーボンですげぇ軽いんですよ。それにスピニングリールも軽くて高性能をセットすると、合計で400グラム?しかないんですよ。そんで中たりが握ってると手感で伝わるんですよ。だからちっこい鯛の中たりが手に来て、合わせが効くんですよ。ホント、すげぇですよ」としゃべりまくった。
確かにこの日、12人の客が乗っていたが、5号以上のテンヤを使っている人はいなかった。
き栄丸のオッチや村越正海氏らと考案したひとつテンヤ釣法を、最初に取り入れてくれたのが新幸丸と富士丸の船長達。知らぬ間に原点に返って、軽いテンヤを推奨してくれた若船長の話を聞いて、5年振りに大原に来た甲斐があったと実感した。
釣果では、同行してくれた末吉氏に及ばなかったが、彼はタブレットを船縁にセットした。そこには水深と魚影が映し出されてる。最新鋭の計器を使いこなす彼は、進呈したき栄丸ロッドの見本竿をたくみに操り、かなり上のタナまで探って、「3メートル上で食いました」と竿を曲げていた。
だがそんな彼には自慢げな表情が全く無い。ただただ淡々と竿を出し続け、数を伸ばしていった。
だがこの彼、一つだけ弱点がある。それがなんと甲殻類アレルギー。だから餌の海老を鉤に刺すと、すぐに手を洗わないといけないという。餌の付け方も手早いし、釣りを始めてまだたった8年とは見えないお方。
これを書いているとき、スマホに彼からショートメールが入った。「今日は三浦半島に来ています。昨日の残り餌の海老で、3号テンヤで3キロの鯛を釣りました。これ中鯛ですか?」と書いてある。
ところが続報で、「釣った真鯛は4,3キロでした」とあった。これは立派な「貫目鯛」で大鯛!『日本釣魚技術史小釣魚釣魚』を書いた、渋沢栄一の孫、渋沢敬三氏が巻末に、釣った貫目鯛を抱えてにっこり微笑む写真が載っている。真鯛を狙う釣り人の勲章であります。
今朝は釣果の下ごしらえ。釣った鯛の腹には、空っぽも多かったが、明らかに甲殻類の残骸も入っていたが、それも小っちゃな蟹の類い。腹を空かせていただろうに、食い込みの悪い鯛のなんと多かったことか‥‥。バラした恨み言で、おしまい。