昨夜、妻の姉の旦那さんが亡くなった。彼は心臓と認知症で施設に入っていたが、昨年、連れ合いの姉も認知症で施設に入ったばかり。妻が弟と一緒に見舞いに行ったが、「あんた(わたしの妻)は小さい頃に一緒にいたように思うけど、あんた(弟)は誰だか知らないよ」と言ってそうだ。夫婦で認知症になり、互いのことが分からなくなったようだ。

 だが二人とも、いつもニコニコ笑顔で過ごしていたという。だから互いに不幸になったとは思っていななかったことが何より。と言うより、不幸という概念が生まれないようだ。

 じつは亡くなった方は、日本橋の呉服や一族で、わたしの高校時代の同級生の伯父にあたる人。

 今週水曜日に家族葬を行うという。だが、わたしは御霊前は包むが、列席しない。

 昨今流行の家族葬だが、実に難しいもの。昨年、母の17回忌だったが、生前、「私にもしものことがあったら、あんた達だけで見送ってくれれば良いからね」と何度も言っていた。今の家も、同居の母の部屋を作り、家から送り出すために建てたもの。家ができたとき母は、介護施設に入っていたが、施設の人の介助を得て、家を見に来た。自分の帰る家の部屋も、「ここから送り出すからね」と言うと、「ありがとうね」と涙ぐんでおりました。

 そして、その日がやってきた。当時「家族葬で温かく送る」をキャッチフレーズにした葬儀社に段取り依頼した。じつは、母が加入していた「冠婚葬祭互助会」にも見積もりも取ったが、法外な見積もり。まるで詐欺的なシステムだった。今、名称を変えてテレビでコマーシャルを流している。

 さて、問題は「家族」の範囲だ。母は7人兄弟の長女だったから、まだ生存している兄弟姉妹が、「私達は姉さんにお世話になったから、通夜と葬儀にはでますよ」と言う。わたしの姉妹と、その子どもたち夫婦も「どうしてもお葬式には出させてね」と言う。わたしの子どもと孫だけでも12人だから、「家族」に「身内」で30人を超えてしまった。

 ご近所さんには、焼香だけはお願いして、供物・供花、香典は丁重にお断りした。通夜の精進落としは葬儀社の料理人が家の台所で作ってくれたが、座る席を作るだけで大仕事だった。

 ということで、わたしは主宰した「家族葬」は、この上なく不評でありました。これだけの人数なら、専門の葬儀場借りて、通夜と葬儀をやったほうが良かったわよと、未だに妻に言われる始末。

 さて、わたしのときはどうする?