わたしにとっての文庫本の思い出は、岩波写真文庫だった。鉄が鉱石から製品になるまでを写真で紹介したもの。角がヨレヨレになるまで読み返したもの。

 その後、作家の書く小説は、雑誌掲載(連載も含め)で好評だったものが単行本となって世に出るが、高価なものだった。

 その売れ行きが落ち着いたら、最後は文庫本となって廉価で読めるようになる。

 作家は雑誌に書いた原稿料をいただき、単行本では印税を頂戴し、最後は文庫で重版が掛かればそのつど重版印税が入ってくる。一粒で三度も美味しい商売だった。これがバブル時代にはあたりまで、わたしも会社勤めの傍らに書いた一冊の重版印税で1,000万円ほどいただいたことがある。「これで老後は安泰」と思ったがとんでもはっぷん。

 雑誌も含め、本が売れない冬の時代が到来した。

 最近は著名な作家もいきなり「文庫の書き下ろし」が増えてきた。2,000~3,000円もする単行本が売れないので、安価な文庫からのスタートである。

 本が売れないと作家は困るが、版元である出版者とて事情は同じ。いかに売れる作家で重版を重ねるかで利益率が大きく変わる。初版では作家への初版印税の支払い、組み版(今はデジタル)、紙代、印刷代を支出するが、重版では10パーセントの著者への印税の支払いのほかは、印刷代と紙代だけですむから利益率は跳ね上がる。

 ただし文庫氾濫の時代だから、いかに定価を抑え、紙代や印刷代を浮かすかに心を配る。さらに文庫のページ数は8の倍数になるから、著者が書く原稿の枚数にも気をつかう。

 というのも、バブルの頃は500円以下だった文庫の値段は昨今、700~900円代が多い。分厚いものだと1,000円を超す定価が付くし、それが上下二巻になったり全三巻になったりもする。

 また、本は委託販売だから本屋からの返本は自由で、それを倉庫に眠らせるが、その管理費もばかにならない事情がある。

 そこで文庫を何冊か見比べてみると、活字を小さくし、字間や行間を詰めたぎちぎちもあれば、大きな活字で字間も行間もすかすかというものもある。

 詰め込んだ文庫で、天と罫下、つまみのぎりぎりまで印刷された文庫は読んでいて息苦しい。まして小さな活字で詰め詰めは、年寄りが読むには辛い。だがスカスカの割り付けはなんだか損をした気になってしまう。

 そのへんが出版者・担当編集者と作家の定価(値付け)の難しいところなのだろう。定価が高ければ同じ部数でも著者が受け取る印税は多くなるが、刷り部数が減る可能性も少なくない。

 文庫を手にして、読む前にこんな推察をしている貧乏人根性が情け無くはある。