春の彼岸、近くの菩提寺にお参りに行った。戦前から先祖が眠る寺だが、江戸時代の古地図にも載っている名刹である。

 祖祖父、祖父、わたしの父母のお骨も納めてある。墓地ではなく、納骨堂で、狭いスペースに掘られた祭壇の下にたくさんの骨壺が納められている。

 だが住職が3年ほどまえに癌でなくなり、今は住職の奥さんがいるだけ。わたしは三代の住職と馴染みだったが、彼岸やお盆、それに回忌法要のたびに住職は故人の思い出を語ってくれたもの。

 まだ幼い頃、祖母が法事の前に、「お布施は弾みますから、お経は短めにお願いします。孫たちが飽きてしまうので」とお願いするのが恒例だった。わが家は養子だったので、ここは母方の菩提寺で、住職とは長い付き合いだったし、母は7人兄弟だったので、従兄弟の数も多かった。

 寺で故人はすべて戒名で書かれているから、俗名(これも変な表現である)が容易には知れない。

 そこで卒塔婆料を払うときに奥さんに、「わたしが死んだら俗名のまま入れてほしいのですが」と言うと色をなして「それはできません。うちの住職に戒名をさずからなければ、長慶寺にはお入れすることは出来ません」と言い張った。

「でも先代のご住職は、お寺には他宗教や無宗教の仏様も納めてあるとおっしゃっていまし‥‥‥‥」と言ってみたが、

「いえ、うちの仏人に限っては、曹洞宗の決まりで戒名なしには入れません」とのこと。

 別にありがたい印居士が欲しいわけでは無い。将来、子どもや孫、ひ孫がお参りに来たとき、本名で無く訳の分からない戒名にまごつく姿を見たくないだけある。

 実際、わたしは父も母のも戒名なんぞ覚えていない。

 だからと言ってわたしの代から樹木葬という訳にもいくまい。

 悩ましい彼岸でありました。