危険なゴムボート釣り 死神は見ている

 

 その日は十月に入ってから間もない頃で、僕はその漁港の内湾の岸壁にゴムボートを浮かせ、釣りグッズを乗せて、漁船などに衝突されないようにと煌々とヘッドランプを点け、さらに前後左右から見えるように、小さな裸電球を取り付けた棒を頭に縛り付けて電球を光らせながら、なるべく岸壁に近い所を漕いで行きました。

 

 漁港の内湾と外海との出入り口は幅が15メートルほどの水道になっているのですが、暗闇から一艘の漁船が突然姿を見せたかと思う間もなく、僕のゴムボートに突っ込み覆いかぶさるようにぶつかってきたのでした。僕は一瞬にして海中に引きずり込まれ、身体が回転するのを感ました。その時、「スクリューに巻き込まれたら大変だ。」と思いましたが、何とか無傷で海面に浮かび上がることが出来ました。

 

 岸壁に向かって泳ぎながら、「九死に一生とはこのことなんだろうな。」と考えていました。幸にも、その年の一年前に、僕の母親が東京からやって来て、一緒に家庭用品やら建築資材や作業着や植木なんかを売っている店に行った時に、母親から「何か買ってあげようか。」と訊かれて、「釣りに行って海に落ちた時の用心にライフジャケットが欲しい。」と答えて、見てくれは良くないが、良く浮く頑丈なタイプのライフジャケットを買ってもらい、釣りに行く時には、波止釣りの時でもいつもそのライフジャケットを装着するようにしていました。

 

 このライフジャケットのおかげで、漁船と衝突して海中に引きずりこまれた後も、漁船が過ぎ去ってから何の苦も無くぽっかりと海面に浮き上がり、溺れることもなく岸に辿り着くことが出来たのです。いろいろな偶然が重なって起きた海難事故だったのですが、いろいろな偶然が重なって命を長らえることが出来ました。

 

 下手をすると、漁船のスクリューに巻き込まれ頭部に大怪我を負い、即死だったかも知れないし、深刻な後遺症が残ったかも知れません。ほんの偶然でスクリューに触れることは無かったのです。もしかすると、僕の頭のほんの数センチの近さを漁船のスクリューが高速で回転しながら時速30キロ以上の速さで通り過ぎて行ったのかも知れません。神様の思し召しかも知れませんが、何とか生命の危機的な状況を凌いで、40歳を過ぎてから今までの人生があるのだから、本当に感謝して過ごさないといけないと思っています。


 この話には後日談が有ります。漁船との衝突事故の後、まずは警察を呼んでもらい、いろいろと漁船との衝突事故の状況を確認してもらいました。衝突事故が起きた時、漁港の出入り口で数人の人たちが夜釣りをしていたのですが、彼らが一部始終を見ており、漁船が走行灯も点けずに、船の出入り口の狭い水道をスピードを落とすことなくやって来て、岸壁寄りに進んでいたゴムボートにぶつかったので、非は漁船の側にあると証言してくれていました。僕は濡れたままの姿で漁港の事務室に行き、翌日に、その事務室で漁協のお偉方と談判することを約束してから、駆けつけてくれた警察官のお二人に心からのお礼を述べてから、車で我が家に戻ったのでした。

 

 皆さんの中には、ゴムボートでの釣りを楽しんでいる人がおられるかも知れませんが、海難事故には十分に注意して下さい。沖釣りは良い場所に当たると大漁になることもあり大いに魅力的ですが、漁船などとの衝突事故や、ボートの転覆事故などのリスクも有り、余程注意して装備も盤石にしておかないと、死神に出遭うことになるかも知れません。ゴムボート釣りやゴムボートを漕いでの沖波止への移動は、なるべくなら止めた方が良いと思います。遊びごときで大切な命を失うなど愚の骨頂です。