今日は、僕が日本海側の留守宅の在る町に東京から赴任した頃の独身時代に通った或るお寿司屋さんの話をします。そのお寿司屋さんのご主人は、僕が勤めていた大学の僕の教室の研究生をしていた大きな病院のドクターの親戚筋の人でした。そのドクターから「一度行ってみたらいいよ。結構美味しい寿司を出してくれる。僕の紹介だと伝えれば少しは安くしてくれるかも知れない。」と言われ、もう12月になった日の午後8時ごろに、仕事帰りにそのお寿司屋さんに行ってみました。常連客が数人入っていましたが、一見の客や家族連れは居らず、駅前の本通りに在る割には、ちょっと照明が暗いなと感じたものでした。
初めて入った寿司屋では、並みの握りセットの1人前を頼むのが常道です。握りセットなら、最初から値段が決まっているので、お勘定のことを気にせず安心して食べられるからです。その店の並みの握りセット(寿司10個)は1,000円でした。すし飯が結構上手く作ってあり、日本海の獲れたての魚をネタにしているので、なかなか美味しい寿司でした。それに気を良くして、それからは、寿司はこの店で食べようと心に決めました。
僕は、元々かなりの偏食ですが(かと言って、食物アレルギーは全く無いので、要するに若干の好き嫌いがあると言うことで、不得意なのは、漬物、酢の物、大根おろし、大根なます位のもので、あとは肉であれ魚であれ、野菜であれ、出されたものは何でも食べることが出来ます)、その所為か、夕食に同じものを毎日食べ続けることが出来ます。威張れたものではありませんが、独身の頃は、夏場は毎日の夕食に、精を付けねばと鰻丼を1ヵ月間ほど続けて食べたこともありました。そんな訳で、そのお寿司屋さんには12月から2月までの2ヵ月間、正月休みを除いて、毎日通って、並みの握り寿司セットを食べ続けました。
その間に、そのお寿司屋さんのご主人と店で一緒に働いていた奥さんとも、だんだん打ち解けっていって、頼まれると時折小学校の息子さんの宿題をカウンターで面倒見て上げることもありました。僕は学生時代に、僕の一番上の姉がやっていたオルガン教室の空いた時間帯に、近所の中学生と小学生相手の塾を開いていました。20名ぐらいの子供たちを、中学生と小学生に分けて、各々1回2時間ずつ週に2回教えていました。中学生には数学と英語を教えましたが、結構分かりやすい授業だったと、その頃の子供たちは言ってくれました。そんな訳で、お寿司屋さんの男の子の宿題を見て上げることは、何の造作もないことでした。
3月になっても、週3, 4回のペースでそのお寿司屋さんに通っていたのですが、ある時、ご主人から「お安くしておきますから、食べたいものを注文して下さい。」と言われて、「少し高くなるかな。」と思いながらも、自分の食べたい寿司を十数個注文しました。お寿司を食べている時に蓴菜(じゅんさい)入りの赤だしが出て来て、「これは2500円は、かかるな。」と観念していたのですが、その日のお勘定は今までと同じ1,000円でした。その後も、注文でお寿司を食べたのですが、ずーっとお勘定は1,000円に据え置かれていました。
要するに、寿司屋さんで安い寿司を食べたいのなら、目当ての主人が一人でやっている寿司屋さんに通い詰めて、そこの主人と打ち解けることです。或る程度金にゆとりのある独身者でしたら、毎夕食に、並みの値段のすしの盛り合わせを食べ続けるのです。こう言うことは、あれも食べたい、これも食べたいと言う人には無理でしょうが、そこを我慢して、その寿司屋さんの常連になってしまうのです。そのようにして、土日以外は、同じ店に通い詰めるのです。この手を使うと、握りを注文で食べても、かなりお負けしてくれるようになります。あとは、毎日通わなくても、並みの盛り合わせの値段で、注文の握りを食べられるようになります。
さて、余談はこれまでにして、その後の話を進めましょう。僕の女房との初デートでも、そのお寿司屋さんに行ったのですが、二人で結構値の張りそうなネタのお寿司を、注文でたらふく食べても、ビール中瓶1本込みで2,500円でした。勿論、時たま(週1回ほど)そのお寿司屋さんのお子さんの宿題の面倒を見て上げていたので、その謝礼の意味も含まれていたとは思いますが、それにしても安いですね。その後、女房と結婚して、その報告を兼ねてそのお寿司屋さんに行ったのですが、寿司代はビール込みで3,000円でしたが、店を出る時に結婚祝いを持たせて下さいました。熨斗袋にはその日の寿司の料金をはるかに超える祝い金が入ってました。
そのうちに、わが家にも子供が生まれ、なかなかそのお寿司屋さんには行けなくなってしまいましたが(お寿司の配達はしていなかったので、お寿司を届けてもらうことは出来ませんでした)、夫婦二人で子連れで10回ほど通った頃に、そのお寿司屋さんはかなり遠い所に引っ越してしまいました。後日、そのお寿司屋さんのことを知っている人に伺ったところ、その後10年ぐらい寿司屋を営業しておられたが、その後は引退されたそうです。若い頃の懐かしい想い出の一つです。