ハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ先生は、村医者をやっていました。けれど、コッホ先生は細菌学の研究が大好きで、本業の村人たちの診療はなるべく早く終えて、午後3時ごろからは、クリニックの隣の部屋に自分でこさえた研究室なる部屋に籠って、細菌学の研究に没頭するのでした。

 

 コッホ先生の奥さんは、「もっと本業の診療の方をやってくれないと、生活も楽にならないし、家の旦那さんも困ったものだわ。」と嘆いていました。それでも、コッホ先生が毎日毎日夜遅くまで研究室で実験の様なことを熱心に続け、いろんな医学書を読み漁って勉強しているのを見て、ついつい仏心を出してしまって、奥さんが嫁いでくるときに両親から「何か大事なことが有ったら使いなさい。」と言って手渡されていた秘密のお金を使って、その当時、コッホ先生がとても欲しがっていた最新式の顕微鏡を買って上げたのでした。今で言えば、500万円ぐらいの高額な顕微鏡だったのでしょうね。

 

 そうしたら、コッホ先生はすごく喜んで、ますます研究にのめり込んでしまったのでした、今までは午後3時までは村の患者さんの診療をやっていたのをさぼり出し、診療は午前中で止めにして、後の時間をすべて研究に使うようになってしまったそうです。奥さんは「あー、仏心なんか出すのではなかった。」と大いに悔やんだそうです。

 

 このくだりは、何となく山内一豊の奥さんの千代さんが、信長公の馬揃えの時に、千代さんが山内一豊のもとに嫁ぐ時に、両親が「何かあったらこの金を使いなさい。」と言って持たせてくれた夫に内緒の大金を使って、山内一豊が恥をかかないようにと名馬を買って上げたと言う逸話とよく似ていますね。そのおかげで山内一豊は信長公に認められ、武将、大名へと手ってして行ったのでした。

 

 まあ、何れにしても、コッホ先生は研究に没頭し続けたわけです。そして、その甲斐あって、コッホ先生は見事に細菌の純粋培養の方法を確立し、炭疽と言う怖い病気が炭疽菌に依って起こることを明らかにすることになったのです。その後は、ベルリン大学の微生物学講座の教授になり、弟子も増えて、かの有名なコッホの3原則を提唱し、結核菌やコレラ菌の発見へと研究が展開して、1905年にはノーベル賞を受賞するに至ったのでした。今では、コッホ先生は「細菌学の父」と呼ばれています。偉い男性の出世の陰には、奥さんの内助の功があるっていうことですね。