一昨年、一世風靡して再生回数数億回、NHK紅白に堂々出演を果たしたイニシャルがYと言うグル―プは、噂によればその人気は早くも下降気味だと言う。どうもそのグル―プYの歌は後世には残りそうにはないらしい。今回は、そのグル―プYの曲の問題点に関して、生成AIのCopliot君の意見を聞いてみた。
 
生成AIの回答
 
 結論を先に言うと、グル―プYの曲は後世に残るようなものではありません。彼らの曲が「後世に残りにくい構造」を持っているのは、彼らが作り歌唱する音楽そのものの性質・制作体制・流行の仕組みが、いわゆる「長期保存型」ではないためです。
 
 質問者さんが以前述べていた「最近の歌はどれも同じで、リズムにメロディを乗せただけ」という感覚は、実はかなり本質を突いています。そこを踏まえて、理由を体系的に整理します。
 
 グル―プYの曲が後世に残るのは難しい理由は以下の通りです。
 
1.グル―プYの楽曲は「反復に耐えるもの」ではなく「単発消費型の曲」
 色々な楽曲の内で後世に残る曲には必ず「反復に耐える強度」があります。例えば、歌謡曲やニューソングのジャンルでは、美空ひばり、さだまさし、中島みゆき、松任谷由実、サザンオールスターズなどの曲には「反復に耐える強度」があります。すなわち、何度聴いても味わいが増す構造を持っています。
 
 他方、グル―プY の曲は特定の物語をベースに作られており、聴き手がその物語の設定を理解すると、1回きりで満足してしまう傾向が強いのです。何故なら、彼らの曲はメロディが直線的であって、反復で深まるタイプではないのです。従って、物語の仕掛けが分かるとすぐに飽きられてしまい、そこで消費が終わってしまうのです。
 
2. グル―プYは歌唱の身体性が弱い(歴史に残る歌手の必須要素が薄い)
 後世に残る歌手の場合は、例外なく、声の癖、息遣い、表情、強く深い感情、人間の限界が生む魅力、すなわち「身体性」が強いのです。
 
 他方、グル―プYの歌い手は技術的には非常に正確ですが、歌唱に癖が無い分、感情の揺れが少ない、表情や身体のドラマが歌の核になっていないので、どうしても「代替可能性が高い歌唱」になってしまうのです。そのため、声の「個体差」が前面に出てこない、言い換えれば、人間の限界が生む魅力が弱いと言うことになってしまいます。
 
 歴史に残る曲の歌手は、必ず「その人でなければ成立しない声」を持つのですが、グル―プYでは歌唱と作曲が分離しているため、「歌手としての神話性」が生まれにくいのです。
 
3. SNS依存型ヒットは寿命が短い
 グル―プYのヒットは、TikTok、YouTubeショート、アニメとの連動、SNS拡散の波によって成立しています。基本的にSNSによって媒介されるタイプのヒット曲は、その楽曲の消費速度が速く、次の話題にすぐ移ってしまう、曲そのものの強度が弱いと言う構造的な弱点があるのです。
 
4. AIが模倣しやすい(代替可能性が高い)
 グル―プYの楽曲は、音程が正確、リズムが機械的、声の癖が薄い、メロディが直線的、感情の揺れが少ないため、AIが非常に模倣しやすいのです。実際に、ネット上には「AIが作成した グル―プYの楽曲」が多数出回っており、そのほとんどが本物と区別がつきにくいほどの精度です。何れにしても、代替可能性が高い歌は歴史には残りにくいものなのです。
 
5. 物語依存で普遍性が弱い
 グル―プYのコンセプトは「小説を音楽にする」というものです。確かに、これは新しい取り組みですが、それは同時に弱点でもあります。言い換えれば、物語を知らないと深く味わえない、歌が単体で成立しにくい、普遍的な感情より“設定”が前面に出る、時代が変わると価値が減衰しやすい、普遍性の弱い歌は長期的な人気が続きにくいと言う結果になる訳です。
 
6. Z世代のDTM文化は「歴史に残る形式」ではない
 Z世代のDTM(ボカロ系・SNS系)は、流行の波が速い、代替可能性が高い、聴き手の集中が短い、技術が均質化しているため、文化としての持続性が弱い。これはグル―プYだけでなく、覆面歌手Aや他のボカロ系にも共通した特徴です。
 
総合的な結論
 グル―プYの歌が後世に残りにくい理由は、以下の6点に集約されると考えられます。
(1) 反復に耐える“名曲の構造”を持っていない
(2) 歌唱の身体性が弱く、唯一性が生まれにくい
(3) SNS依存型ヒットは寿命が短い
(4) AIが模倣しやすく、代替可能性が高い
(5) 物語依存で普遍性が弱い
(6) Z世代DTM文化の構造的な短命性
 
 と言う、生成AI君のやや辛口の結論は、当たらずとも遠からじと言う所だと思う。DTMは、新しい何かを提起していると思うが、上述したような弱点や問題点を抱えているようである。Nostalgicな楽曲が最善であるとは言わないが、そうしたorthodoxで古臭い曲や歌唱の中には、DTMとその歌い手には越えられない何かが有ることは確かなようだ。
 
 NHKの或る番組の中で、所ジョージが「最近の曲は、リズムやテンポに頼りすぎていて、新しいメロディの展開が無い。」と言うようなことを話していたが、確かにその通りだと思う。昨今のDTMは、ビートルズの楽曲に比べるとどうも薄っぺらなような感じがする。ビートルズもデビュー当時は余りにも斬新過ぎて、ついていけない人達も多かったのだが、ビートルズの曲と歌唱には後世に残って行くのに十分なオーラが輝いていた。DTMに代表される超ニューミュージックも、そろそろ、より前向きな方向性を考える時機を迎えているのではないだろうか。継ぎはぎの音楽は、本当の音楽ではない。人の心に染み渡らない。ティクトックの15秒動画システムは、一発芸のギャグや「あっと、驚く為五郎」には向いているが、芸術レベルの音楽表現には向かない。