僕にも若い頃にフォークソングらしきものを作っていた時期があります。或る国立大学の薬学科で助手(今の助教)をやっていた頃のことです。隣の研究室の卒論の女学生が、いつも憂いを秘めた顔で投稿して来るのを、僕の研究室の二階の窓から見ていて、歌でも作ってその娘さんに上げたいなと思ったのでした。
僕が高校受験したころは、都立高校の受験科目は、英語・国語・数学・理科・社会に加えて、保健体育、美術、音楽、職業家庭の計9科目でした。そんな訳で、絶対音階の無い僕でしたが、入試の筆記試験では、世界と日本の100曲ぐらいの名曲のどれかの楽譜について、作曲家は誰か、曲の名前は何か、何調の曲か、フラットとは何か、メゾフォルテとは楽譜の中のどの記号かなどの質問に答えねばならず、みんな結構必死になって音楽理論を勉強したものでした。
入試の採点は9科目で合計900 点になりますが、僕が進んだ高校の最低点は810点でしたので、保健体育、美術、音楽、職業家庭の勉強をおろそかにすることは出来ませんでした。だから音楽理論も勉強しましたので、今でも楽譜の記号の意味はほとんど全て覚えています。例えば、シャープが1個から7個まで付くと、トニイホロヘハと言って、ト長調から嬰ハ長調までの調判定となるぐらいのことは知っているのです。
そこで、僕はギターを買ってきて、ギターが上手い大学院生にギターのイロハを習い、2か月の練習の後に、フォークソングの作曲に挑んだのでした。その大学で助手をやっていた2年間に、30曲ぐらいのフォークソングもどきを作詞・作曲して、僕の友人の大学院生や僕の研究室の卒論の学生さんたちにご披露したりしていました。まあ、元々「詩」については独学で勉強していましたので、作詞の方はさほど苦労はしませんでした。
僕が助手になってから迎えた3月中旬の或る日の午後に、H君がひょいと顔を見せて、僕に、つかぬお願いがあると言ってきました。その頃、H君には想いを寄せる同級生の女学生さんが居ました。その人は、見るからに利発で美人タイプの学生さんでした。そう言う人は、数人の学生同士で面白おかしく話している時は、結構いい愛想でH君に接してくれるのですが、面と向かったH君の告白などを前にすると、「うーん。私は初心なので、そこまでの気持ちにはなっていないんです。この先どうなるかなんて分からないけど、今はごめんね。」などと言って、きっとH君の告白を軽く躱してしまうのでしょう。H君は、二回ほどチャレンジしてみたけれど、話は少しも進まなかったそうでした。
3月の下旬の或る日、H君が、「明後日の卒業式の日にもう一度アタックしてみたいけど。多分、駄目でしょうね。それでも最後のチャンスだと思って、もう一度話してみようかと思うんですが、僕の言葉だけでは彼女はきっと良い返事はくれないと思うんですよね。そこで考えたんですが、岬先生に一つ僕の心の内を訴えかけるような歌を作ってもらって、僕の自慢のギターを弾きながらその歌を切々と歌って、彼女との最後の心の触れ合いをしてみたいんです。」と言ってきたのです。
H君は、思いつめたような顔つきで、「きっと、彼女の心は、そんな事では変わらないでしょうけれど、彼女の心のうちに、少しでも僕の存在と、僕が心を寄せていたと言う事実を残してもらいたいんですよね。突然で済みませんが、明日の夕方までにその歌を作って下さいませんか。そしたら、その歌をマスターして、翌日の卒業式の後で彼女に歌って上げたいんです。」と頼んで来ました。
これまで、いつも土曜日の夜に僕の研究室にやって来て、インスタントコーヒーを飲みながらギターを弾いて、僕の作った数曲の歌を歌ってくれていたH君のたっての願いなので、僕はその日の実験が終わった午後11時過ぎから、研究室の自分の机の前に座り、先ずはH君の心の内をさらっと表現した歌詞を作り、その詩に合わせて、下手糞なギターをつま弾きながら、作曲に勤しむのでした。
それなりに自分でもまあまあ満足の行く歌が出来上がったのは深夜の午前1時でした。翌日は、朝から結構ハードな実験があるので取り急ぎ帰り支度をしながら、この歌でH君の思い人の心に何かが残ってくれるといいなと考えていました。この歌は、ハ長調で、なんとも素人臭い曲であったのですが、歌詞の出だしの「北風」の「か」の音は珍しくも半音下げており、僕としては上の部に入る歌でした。
春のにおい
北風に髪が乱れて (C, F, G7, G7)
ふり濯ぐ日差しの内(なか)に (C, F, G7, C)
春の匂いが懐かしい (Am, C, G7, C)
何にもなくて一年がすぎて (Am, G7, C, G7)
僕等は春をむかえたようだ (Am, G7, C)
そうして僕等は出発つ(たびだつ)のだろう (Am, C, G7)
生きることの意味を求めて (C, G7, C)
そうして僕等は出発つのだろう (Am, C, G7)
生きることの意味を求めて (C, G7, C)
青空が今日も続いて
群雲(むらぐも)の光の中に
春の匂いが懐かしい
何にもなくて一年がすぎて
僕等は春をむかえたようだ
そうして僕等は彷徨う(さすらう)のだろう
生きることの意味さえ知らずに
そうして僕等は出発つのだろう
想う人の胸(こころ)も知らずに
結論から言うと、H君はこの歌を彼女に披露することは出来ませんでした。H君は、卒業式が終わってから彼女を探し回ったのですが、ついに見つからず終いだったそうです。僕としては、是非とも彼女の前で歌って欲しかったのですが、運命の神様はそう言うチャンスはくれなかったるようです。
この歌は、僕の弾き語りで動画にして、Youtubeにアップロードしていますが、予想したように視聴数は150回ぐらいのもので、殆ど誰にも聴かれずに、いまもYoutubeのネット空間を彷徨っています。折角、格調の高い英語の訳詩も付け
ているのですが、誰も聴いてくれません。いまのDTMに慣れ切った若者たちには、素人の作った昭和ソングなんて、聴く気にもなれないのでしょうね。