こんにちは。
本日は『大学』からです。
いよいよ本文の重要な部分に入ります。
『大学の道は、明徳を明らかにするに在り。民に親しむに在り。至善(しぜん)に止まるに在り』
明徳を明らかにする
民に親しむ
至善に止まる
これを『大学』の三綱領と」いいます。
三綱領を話せば尽きないほどありますが、最も重要な内容に絞ってお話し致します。
〈現代訳その一〉
知徳を兼ね備えて世によい影響を及ぼすような立派な人物、即ち大人(たいじん)となる学問の道筋は、先ず生まれながら与えられている明徳を発現(明らかに)するところにある。
その明徳が発現されると、自ら通ずる心一体感が生じ、誰とも親しむようになる。
更に判断が正しくなり、常に道理に叶った行為が出来るようにもなる。
〈現代訳その二〉
大学を学び大人になるためには
自分が生まれつき持っているすばらしい徳を発現すること。
自分一個の修養だけにとどまらず、それを人にも及ぼして、それぞれの徳を発現するように導くこと。
以上の二つのことが到達した最高の状態を、常に維持するように努めることである。
明徳=天から授けられた生まれつき持ってる素晴らしい徳性、すなわち良心。
素直な心で、天の道、人の道を実行した時に、はじめて「徳」になるのです。
発現=現れ出ること。現れ出すこと。
明徳が明らかになって現れてくるのが『仁恕』(じんじょ:あわれみ深くおもいやりがあること。)です。
『仁』=天地の心。それはやさしさであり愛です。お釈迦様は「仁」を「慈悲」(じひ:いつくしみ、あわれむこと。なさけ。)と言いました。
『恕』=惻隠の心。[惻隠(そくいん:かわいそうに思うこと。同情すること。)]相手を思いやる。
『大学』とは、大人(たいじん)となるための学問です。
企業にとっての大人(たいじん)とは、会社と自分とは運命共同体で、全身全霊を尽くして仕事にあたれるような人が会社の大人です。
伊與田覺先生は、その著書の中で「近年は自分の生活さえ良ければ、国がどうなろうと関係ない、という日本人が増えているように思いますが、要因は戦後の学校教育にあるのでしょう。
戦後の愛国心というのは、愛されるような立派な国をつくってくれ、そうしたらいつでも愛してやる、というものです。
それに対して戦前の愛国心は、国が悪くなればなるほど、これを何とかしなければ、と力を尽くし、しまいには命を捨ててでもこの国を守ろうという愛国心でした。
どちらが真の愛国心か一目瞭然です。」
伊與田覺先生は、学問を大きく分けると「人間学」と「時務学」があると言われています。
人間学=徳性。習慣。
時務学=知識。技術。
戦後の日本教育は、時務学だけになってしまいました。それはアメリカのGHQにより教育勅語の廃止と修身の廃止によるものです。
日本人を骨抜きにする教育が、戦後65年の今も何の改善もなく行われているのです。
「人間学」と「時務学」の関係を織物に例えたなら、「人間学」が縦糸で「時務学」が横糸です。
今の教育は横糸だけになってしましたために、弱くなり美しい織物が完成しないのです。
「人間学」の縦糸を加えた教育こそ立派な人間を育む教育なのです。
現代の教育に欠落したものそれが「人間学」です。
学校教育に「人間学」を復活させる必要性を感じています。
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