ユッケ集団食中毒から13年、被害者救済は進まず…遺族「金銭的にも精神的にも負担大きい」 | 神田岩本町の開業社労士のブログ

神田岩本町の開業社労士のブログ

ブログの説明を入力します。

 2011年に死者5人を含む180人以上が発症した焼き肉チェーン「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件は27日、発覚から13年を迎えた。運営会社「フーズ・フォーラス」(東京)は1月に破産手続きを終結したが、遺族に資産が分配されるまでには長期に及ぶ裁判とその費用がかかり、被害者の救済のあり方が問われている。

 

 「被害者は一生癒えない傷を負うのに、支える制度がほとんどないことを真剣に考えてほしい」

 妻(当時43歳)と義母(同70歳)を亡くした富山県砺波市の小西政弘さん(61)は、そう強調する。11年4月23日、小西さん一家5人は砺波店でユッケを食べ、翌月、妻と義母が食中毒で亡くなった。長男と長女も一時は重症となり、今も年数回の検査が欠かせない。

 

 小西さんらは12年、店にユッケ用の牛肉を納入した業者相手に賠償を求めて金沢地裁に提訴。17年に和解し、和解金は遺族や被害者に症状に応じて分配された。フーズ社は14年に初めて補償額の一部を支払い、その後も特別清算を目指したが、23年に破産手続きに移行した。小西さん一家にも資産が配当されたが、「長い年月の治療や裁判の金銭的、精神的な負担はとても大きかった。被害者が大きな負担を負わざるを得ない現状はおかしい」と訴える。

 

 また、次男大貴君(当時14歳)を亡くした小矢部市の久保秀智さん(61)も同様だ。「事件で変わったことは食品衛生法の改正くらい。お金が出て行く一方だった」とこぼす。1日遅れの誕生日祝いに店を訪れ、ユッケを食べた大貴君は闘病の末、半年後に亡くなった。長年、フーズ社などに謝罪を求めて裁判などに関わってきたが、今回分配された資産は、和解金と合わせても、かかった費用の半分に満たない。

 昨年の大貴君の命日には、初めて子供を連れてきた同級生もいた。「長い年月がたったと実感する。生きていればどんな大人になっただろう」と遺影を見つめた。

 

(読売新聞のホームページより)