数個前のブログで

人口問題を書いたじゃないですか。

(ほぼジャ○ーズの話だったけど)

本当はですね

元々は、スパルタンレースブログとして

新潟県と絡めて書くつもりだったんだけど

若き日の思い出話が頭に浮かんでしまい

全く関係無いところに着地しt…

…敵地に不時着してしまいました。

 

というわけで

今回はJ-FRIENDS云々は

いったん脇に置いといて

新潟県の人口問題について触れようと思う。

 

先ずは

前回も載せた都道府県人口ランキング。

我が埼玉県は5位につけている

 

東京の人の多さは異常だ。

街を歩いていると

飛蚊症じゃないかってくらい

視界のどこかに必ず人間がいる。

僕が働く丸の内なんて

泣けるくらいに人で溢れている。

空気も若干ながら薄くなってる気がする。

 

我が埼玉県は730万人くらい。

多いっちゃ多いけど

ウチは田舎の方なので人も少なめ。

東京丸の内に比べれば

過疎地みたいなもんだ。

 

でだ。

話は新潟県に移る。

ランキング的には15位につけている。

218万人。

思ったより多いと感じるか少ないと感じるか。

とにかく、東京より面積は広いし

人口も少ないんだから

そこまでギューギューしとらんだろうと

想像はできる。

 

なんだけど

ちょっと面白いデータを見ていただきたい。

 

日本が人口統計を集計しだしたのは

江戸時代が終わって

明治時代に入ってからの1872年。

廃藩置県が行われた後のこと。

1位都道府県の移ろいで驚きの結果が出ている。

なんと、新潟県がトップの時期が!!

 

1874年からの3年間、

1882年からの2年間、

そして

1887年からは

なんと10年連続で首位だ。

 

寺尾聰の『ルビーの指輪』だって

ベストテンで12週連続1位だ。

それはそれでスゴい大記録だけれども

新潟は10年…1年を約50週で計算すると

500週連続1位を死守していたことになる。

東京は別格として

新潟も大健闘しているではないか。

スゴいぞ新潟。

 

新潟が1位になり得た理由として

大きく2つ考えられる。

そしてそれがそのまま

新潟のココがスゴい!に繋がる。

 

①稲作の中心地

②北前船の拠点

 

1800年代後半において

経済の中心は第一次産業。

いわゆる、生活に不可欠な農業・林業・漁業。

日本人にとって最重要作物である

“米”の生産地に働き手として人が

流れてきた一面もあるだろう。

 

そして、当時の運送技術の主役は海運。

道路が整備され陸運が主力になるのは

もっと後の話である。

海運といえば北前船だ。

大阪⇔北海道を西回りで進む北前船

 

寄港地に人が集まり賑わっていくのは

世の常,人の常。

当然、米どころ新潟では

米俵が荷揚げされ運ばれていったことだろう。

確かに、新潟の米は美味かった!

4合で握られようと全く問題無い美味しさ

(→カンナックリとレースと大爆おにぎりと姫ブログ)

 

昨年のレース後に

越後湯沢駅で大爆おにぎりに挑戦したわけですが

まあ、できうるならば

4合おにぎりを大人数でシェアするか

無理せず1合おにぎりを食しておけば

米の美味さをより楽しめると思う。

いささか強引な展開ですが

そんな新潟で

今年もまたスパルタンレースが開催される。

もう2ヶ月を切りましたよ。早いね。

 

毎回、だいたい5,000人くらいが集まる。

それを足しても14位の宮城県は抜けないが

その日はちょっとだけ

湯沢町の人口密度が上がる。

人が多くなって暑くなる。いや、熱くなる。

9月の湯沢は、灼熱だ。

 

というわけで(どういうわけだ?

最後にスパルタン動画でも。

タイトルは『No Excuses』…『言い訳しない」って事か。

※1分30秒の内容です。音が出ますのでご注意を。

全編英語ですが字幕対応になっております。

やらなきゃいけないことを、ただやるだけ

 

今まで生きてきて

大なり小なりの「こりゃヤバいな…」

経験してきたつもりであるけれど

今回のレースは

先のレース達とは雲泥の差で本格的にヤバい。

過去1位、2位を争う試練だと思っている。

 

もしかしたら完走できず

下山が困難になった挙げ句

湯沢の山に住み着いちゃうかもしれない。

こんな感じで山に居座る

 

それすなわち

新潟県の人口が1人増えるということだ。

新潟の皆さん

よろしくお願いいたします。