リスの世界

リスの世界

️リスの世界へようこそ️️!感想と日常の想いを書いています。

リスです。今日はバレンタインデーだから、ちょっと恋バナをしたいと思う。

初恋は中1の頃。それから今まで、好きになった人が6人いる。けど、彼女ができたことはない。理由はいろいろあるけど、その一つは好きになった瞬間に、その気持ちをすぐ捨ててきたからだ。

中学生の頃、ちょっとからかわれた。「リスくんはリスちゃんが好きなんだ~」って。本当は違ったのに、なぜかそれが妙に刺さった。それ以来、「好きになることは良くないこと」みたいに思い込んじゃった。

それに、好きになるのって、怖いよね。
ダメだったら、気まずくなる?
ダメだったら、どれだけ心が痛む?
ダメだったら、親友を失う?
あれ、最悪だよ。そう思うたびに、「じゃあ最初から好きにならないほうがいい」ってことにしてきた。

でも最近、やっと気づいた。僕はずっと「気持ちを消す」癖があることに。きっかけは「沖ツラ」っていうラブコメからのセリフだった。

第1話で主人公がこんなことを言う。
「好きな子もできてしまった」。
その瞬間、一時停止して、巻き戻して、もう一回聞いた。

「好きな子ができた」って、なんて優しい言い方なんだろう。
「できる」っていいイメージだよね。
合格できる。うまくできる。リスを見ることができる。

なるほど。
誰かを好きになれたなら、呪いじゃなくて、恵みだと思った。

だって、身近に「こんなに優しい」「こんなに面白い」と思える人がいたら、それだけでもうラッキーだ。

だからこれから、他人への想いを大切にしたい。もう、気持ちを捨てたくない。
まだ告白する勇気なんてない。でも第一歩は、自分の気持ちを「悪いもの」として扱わないことだと思う。好きになることを許せたら、いつか勇気も湧いてくるかもしれない。

ミュージカル「Wicked」の「For Good」っていう曲のタイトルには、二重の意味がある。
「これからずっと」と、「良い方向に」。

恋人できるかどうかはわからない。
でも、好きになった時点で、もう何かが変わっている。
きっと、I have been changed for good.

僕の世界を少し変えてくれた人たち、ありがとう。

 

リスです。

昨日は雪が降っていた。窓の外を見なくても、雪が積もったことがわかる。目を閉じて耳を澄ますと、雪の日にしかない独特な静けさがある。鳥の気配が薄くて、車の音は遠く、いつもよりゆっくりだ。ふわふわの雪が音を吸い込んでいく。こういう静かな時間に、ふと「少女終末旅行」というマンガを思い出す。

チトとユーリが、崩壊した世界を二人で旅していく物語だ。ほとんど何も残っていないからこそ、世界は静かで、小さなものが大きく感じられる。雨の音、お風呂のぬくもり、新しい食べ物の味。僕らなら見過ごしてしまうような日常のことは、彼女たちにとっては大切な宝物になる。なぜか都市の上へ上へと進んでいくのに、作品の焦点はいつも「今、確かに、この瞬間」にある。素晴らしい物語というより、詩を読むような感触がある。

物語に比べると、詩の魅力はちょっとつかみにくい。けど、次の言葉を読んでから、ちょっとわかってきた。パーシー・ビッシュ・シェリーはこう言ったという。

詩は、世界の隠された美を明らかにして、慣れたものをまるで慣れていないかのように見せる。




「少女終末旅行」はそれをやってくる作品だと思う。新しいことに出会うと、チトとユーリが子どもみたいに素直に考えたり、問いかけたりする。それを通して、僕らも改めて考えさせられる。なぜ写真を撮るのか。なぜ日記をつけるのか。なぜ音楽を作るのか。

一番忘れがちなのは、一番慣れたものかもしれない。僕が育った場所では、雪は普通に降る。だから雪は、いつの間にか「ただの雪」になっていた。けど昨日は違った。みんなの送ってくれた雪の写真、笑顔、歩道のそばの雪だるま。みんなが雪をちゃんと楽しんでいた。きっと、雪はみんなの宝物なんだと思った。見ているうちに、僕にとっても雪が宝物になった。


「少女終末旅行」の各章もやっぱり短い詩みたいだ。一つの章で、一つの宝物に出会う。雨音、お風呂、音楽、写真、少しの食べ物。けどそれは「旅の休憩」じゃなくて、「旅の一部」だ。旅の核は、そういう瞬間にある。章を重ねるほど、世界の見え方が少しずつ変わっていく。最初は「もの」を見ているようで、いつの間にか「人生」を見ていることに気づく。さっきの言葉で言えば、世界の隠された美だけじゃなくて、人生の隠された美まで、明らかにしてくるみたいに。

宝物は遠くにあるんじゃない。見慣れた日常に、もう一度目を向けたときに生まれる。雪の静けさも、雪だるまも、写真も、そうだった。

雪はもうやんだ。僕の、そしてみんなの作った雪だるまが溶けていく。静けさも、そろそろ溶けていく。世界はまた、いつもどおりに戻る。次に雪が降ったら、「ただの雪」もまた宝物になる気がする。

リスです。

任天堂のシリーズの中で、一番平凡なのはマリオだろう。少なくとも、昔の僕はそう思っていた。でも最近、マリオシリーズのファンになった。理由はシンプルで、ワンダーがいっぱいだからだ。

何もかもが当たり前じゃない。キノコを食べると体が変わるし、動物たちはBGMに合わせて踊るし、土から土管が出てくるし、土管から人食い花が出てくる。そういう変なことが、なぜか自然に見えてしまう。

僕にとって、断トツのマリオ作品は「スーパーマリオギャラクシー」と「スーパーマリオ オデッセイ」だ。この二つは、陰と陽のように対照的だと思う。


ギャラクシーのはワンダーは「宇宙的」だ。いろんな銀河、惑星、衛星を渡り歩く。BGM、重力の感覚、ステージの切り替わり方まで、スケールそのものに驚かされる。宇宙の謎に触れながらも、どこか優しい雰囲気を残していく。



それに対して、オデッセイは「僕らの世界の別の姿」を旅する感覚がある。幻想的だけど、現実とのつながりがはっきりしている。そして、ただ各地を巡るだけじゃない。キャッピーを通して、世界に参加できる。身近な世界の多様性を祝福しているように感じる。

この二つの作品は、旅のワンダーにも種類があることを教えてくれた。
ひとつは、遠さやスケールに驚く旅。
もうひとつは、近さや質感に驚く旅。
方向は違っても、どちらにも確かにワンダーがある。

ぼくらの世界は意外と、見方しだいで面白くなるかもしれない。
最後に、ちょっと面白いサイトを紹介したい: wikimap.wiki。ウィキペディアの記事を地図上に表示してくれる。家の近くにも、意外な「面白さ」があるはずだ。

リスです。

数ヶ月前、BeRealっていうアプリを使い始めた。1日1回、みんな同時に通知が来て、そこから2分以内に写真を撮って投稿しないといけない。後からでも投稿できるけど、遅れると、その日の撮れる回数が減る。

これがけっこう楽しい。日々を大事にする感覚がある。隔週で家族とテレビ電話するとき、BeRealを開いて「今日はこんなところで撮れちゃったよ」って見せる。通知はランダムに来るから、普段なら撮らない場所の写真を残る。

でも、つらいところもある。BeRealを見ると、疎外感みたいな気持ちが湧くことがある。「なんで僕だけ楽しんでないんだろう」って。そんな悩みを友達に話したら、「お前のBeReal見てても、俺も同じ気持ちになるときあるぞ」って返ってきた。なるほど、と思った。僕はちょっとSNSの初心者なので、今さら気づいた。SNSって、誰にとっても楽しいだけのものじゃないんだな。


こないだ、よく勉強している場所に「ご自由にお持ちください」と書かれた箱が置いてあって、中に2026年の手帳が入っていた。先月ちょうど万年筆のインクもプレゼントでもらったし(ありがとう!)、いいタイミングだったから、「自分のための日記」を始めることにした。



手帳はスペースが小さい。だから、書くことをちゃんと決めないといけない。普段は、出会った人の名前と行った場所だけ書いている。紙の日記を続けてるのは、これが初めてになる。

前から、たまに長い日記も書いていた。頭が思いでいっぱいのとき、パソコンで英語で、750ワードくらい書く。思考がループして止まらないときは、吐き出さないと眠れない。きれいに書かなくていい、とにかく出す。そうすると、頭が少し静かになる。自分に質問して、自分で答える。




考えてみると、BeRealも日記みたいなものだ。日々を覚えるための習慣で、小さなタイムカプセルみたいな存在。紙の日記は言葉で残す。BeRealは写真で残す。

でも、違いは媒介だけじゃない。BeRealはどうしても「他人」に向く。疎外感が出る日もあるけど、やめたいわけじゃない。つながりを感じる日も、ちゃんとあるから。

つながりは、他人とのものだけじゃない。
日記をつけることで、自分とのつながりも大事にできる気がする。

リスです。(ところで今日は「リスの日」です!)

去年、「ちいかわ」を読み始めました。先生のキーホルダーがなんかかわいいやつだってことに前から気づいていて、あとからそれが「ちいかわ」だと分かりました。友達はマンガを貸してくれたんです。(ありがとう!!!)普段、電子ペーパーで本やマンガを読んでますが、「ちいかわ」は初めての紙のマンガでした。

今週、誰かと「自分ってなんだろうか」の話になりました。仕事、趣味、国籍、得意なこと。たしかに分かりやすいし話しやすいし、自己紹介としては便利です。でも、自分はそういう「ラベル」そのものじゃない気がします。例えば、仕事が変わっても、自分まで別人になるわけないはずです。

今日、あの会話のことを考えていて、ちいかわの「古本屋」の章を思い出しました。鎧さんたちがカニの飾りを配って、それをモモンガが古本屋さんに渡して、古本屋さんがピンク色になった。色が変わったその瞬間、なぜか涙が出てしまいました。



ちいかわの世界には、グレーの「有象無象」がたくさんいます。アイドルっぽいパジャマパーティーズでさえ、色がついていません。だからこそ、古本屋さんの変化は、ただの衣替えだけじゃないと思うんです。接客用の顔じゃなくて、その人自身が引き出された。そんな感じがしました。結果として、古本屋さんは「有象無象」じゃなくなった。モモンガのおかげで、色がついた。

全員が、誰にとっても「登場人物」として扱ってもらえるわけじゃない。けど、誰にとっても「有象無象」みたいに扱われていいわけじゃない。古本屋というキャラは古本屋さんだけじゃないし、自分だってラベルでできてるわけじゃない。きっと、自分の色が仄かに光っている。

その色を見えてくれる誰か。色を引き出してくれる誰か。そんな友達ができるだろうか。どこかに、自分の「モモンガ」がいるのかな。一方で、僕はただのリスだけど、誰かの「モモンガ」になれたら嬉しい。

自分の手で、世界を少しずつ彩っていこう。