また「心にかけて思い煩うこと。不安に思うこと」とも書いてあります。そして、現在はこちらの意味の方が一般的ですね。
何か問題が起こったときに、それを何とか解決しようと心を配ることは大切なことです。ただし、行き過ぎた「心配」は、私たちの心や身体を蝕みます。

絶えず胸に「心配」をかかえていると、その重みで心が苦しくなってしまいます。ちょっとしたことが状況を拡大して、いつも最悪の事態を予測して、不安に覆われた生活を送ることにもなりかねません。
もし、大きな「心配」をあなたが感じたとしたら「これは私にとって、どんな意味があるのだろう」と考えてみてください。
それを解決することが、自分の成長につながるという「心配」もありますが、ほとんどの「心配」は、大した意味もない些細なことが多いのです。
だとしたら、そんなことに気をつかうのはやめて、もっと生産的なことに意識をむけてみる方がずっといいのではないでしょうか。
そして、それがあなたにとって意味のある「心配」ならば、それに対して自分は何ができるだろうかということを考えてみるのです。
もしかすると、何ひとつできないことがわかるかも知れません。でも、何もできないのなら「心配」することだって時間の無駄だということが理解できるでしょう。

小さな「心配」を巨大なものにするのは私たちの心です。そして「心配」を自分で何とか対処できるような大きさに小さくすることができるのも、私たちの心なのです。
自分ができること、変えられることに意識を向けてみてください。そして、それに対してできることをするだけです。
リラックスして、心をさわやかにしてみれば、「心を取られて思い煩うもの」としか見えなかった「心配」が、「大きな気づきを与えてくれる体験」だったということに思えてくるかも知れませんね。
癒しのことばより