うすら寒いとかで使う「うすら」とは、日常的には使わない言葉ですが
禅では「うすらぼんやり」という言葉が、脚光を浴びるのです。

見るともなく見る、それを「うすらぼんやり」と言い直すことにしましょう。
「うすらぼんやり」と見ることで何がどうなるのか、試してみましょう。

目の前に人差し指を立てます。距離は30cmくらいがいいでしょう。
その上で、普通にその指を見てください。当然指は1本に見えますね。

次に、その指と視野に入る景色全体を「うすらぼんやり」と眺めて
みましょう。しばらく「うすらぼんやり」していると、指が2本に見えて
きませんか。
これはもともと左右の眼に見えている2つの像が「うすらぼんやり」
することで、像が統合されずに見えている状態なのです。しかも
よく見るとその指の像は、半透明になっていて、向こう側を透かして
見ることが出来ると思います。

さらに、その「うすらぼんやり」した状態のまま、腹を立てたり、あるいは
不安になってみたり、してみてください。

もしちゃんと「うすらぼんやり」しているのならば、それが出来ないことに
気づく筈です。これは感情にともなった、身体状態が得られないから、
感情が定着できない、ということなのです。
しかもその「うすらぼんやり」状態の時に、体がリラックスしていることに
気づく筈です。


「うすらぼんやり」には、価値判断もなく、好き嫌いもない、その先には
全ての存在が無となる、広々とした世界がひろがるだけなのです。
いわゆる妄想から離れた「悟り」の世界は、この「うすらぼんやり」と
いう入口から入って行くのです。

「禅的生活」より引用アレンジ