取り返しのつかない間違い
人は時として
とてつもないミスや間違いを犯しながら、それを正義にしながら生きて行きます。
原子力発電も、冷静に考えれば、ゆっくり爆発する爆弾にもかかわらず
その爆発から逃れる術もないまま
たかだか、電気がちょっと足りないと理由で
十代の若者が取り憑かれるチープスリルの如く再稼働。
本当に電気が足りないのか、それより見せかけの理由で、とてつもない間違いへ
これこそ間違いなく進み始めました。
僕が住む家は築50年を越える土壁木造。
あっちこっち痛んでボロボロです。
ご多分に漏れず、この季節
洗面所でゴキブリを発見しました。
古い家なので慣れており、先日ドラッグストアで買った「ゴキジェットなんたら」を落ち着いて取り出しました。
標的は洗面所の備品関係の間に入っており
殺虫剤でベトベトにしたくないので、このスプレーに付いていた先細ノズルを付け
ゴキブリにめがけ、僅か0.05秒ほど「シュッ」
驚いたのはここからです。
これまでの殺虫剤であれば何回もシューシューかけなければ死ななかったゴキブリが
僅か0.05秒ほどの一瞬かけただけで、数秒で死にました。
戦慄をおぼえました。
これが人間だったとしたら
いや、これを人間として同じ事をしていないか?
「人間」
相手が害虫だから笑えるCMでやってますが
僕らはそれ以上の威力ある殺人剤を
国威啓発で、国会中継で正当化しながら
今、フルパワーで動かしています。
僅かの薬剤で死ぬゴキブリを見るのと同じく
あのフクシマを見たにも関わらず。
僕も見たもの
町中で国会前で至る所で
取り返そうとする取り返しのつかない間違い
とてつもないミスや間違いを犯しながら、それを正義にしながら生きて行きます。
原子力発電も、冷静に考えれば、ゆっくり爆発する爆弾にもかかわらず
その爆発から逃れる術もないまま
たかだか、電気がちょっと足りないと理由で
十代の若者が取り憑かれるチープスリルの如く再稼働。
本当に電気が足りないのか、それより見せかけの理由で、とてつもない間違いへ
これこそ間違いなく進み始めました。
僕が住む家は築50年を越える土壁木造。
あっちこっち痛んでボロボロです。
ご多分に漏れず、この季節
洗面所でゴキブリを発見しました。
古い家なので慣れており、先日ドラッグストアで買った「ゴキジェットなんたら」を落ち着いて取り出しました。
標的は洗面所の備品関係の間に入っており
殺虫剤でベトベトにしたくないので、このスプレーに付いていた先細ノズルを付け
ゴキブリにめがけ、僅か0.05秒ほど「シュッ」
驚いたのはここからです。
これまでの殺虫剤であれば何回もシューシューかけなければ死ななかったゴキブリが
僅か0.05秒ほどの一瞬かけただけで、数秒で死にました。
戦慄をおぼえました。
これが人間だったとしたら
いや、これを人間として同じ事をしていないか?
「人間」
相手が害虫だから笑えるCMでやってますが
僕らはそれ以上の威力ある殺人剤を
国威啓発で、国会中継で正当化しながら
今、フルパワーで動かしています。
僅かの薬剤で死ぬゴキブリを見るのと同じく
あのフクシマを見たにも関わらず。
僕も見たもの
町中で国会前で至る所で
取り返そうとする取り返しのつかない間違い
辛抱たまらん
昨日、電気資材系企業の勉強会に行ってきました。
講演弁者はテレビでお馴染みの「辛坊治郎氏」
さすがに、喋るを商売にされておられるので、2時間近く
5、600人を退屈させない講演は、流石といえました。
しかも、情報社会と経営についてメディア側から話せと言われていたらしく
結構、無茶振りだったろうに、つらつらと芸能界の裏話も交え
上手にお話されておられました。
2時間の講演
本当は大体10分で済んだ話だったと思います。
なぜなら
話の要点が
「重要な情報は常にどこにでもある情報で、それは常に目の前にある。
しかし、その先にある何かを読み取れるかどうかが重要。
人は目に見えるものを信じ、耳に聞こえるものを信じ過ぎるから
さまざまな角度から物事を見、聞こえる意味から聞かせたい意思を探り
その見える聞こえる束縛から未来を予測せよ」
ということだったからです。
その他の話は横に置いておいて、話の要点だった内容は
僕が高校生の頃から追いかけ続けていることでした。
当時、流行していた
ハワード ジョーンズの「new song」という歌。
日本では80年代シンセサイザーポップスという感じで流行しましたが
その歌詞のサビの部分を聞き、衝撃を受けた事を今も覚えています。
「Don't crack up
Bend your brain
See both sides
Throw off your mental chains 」
英語が堪能な訳ではありませんが
「だまされるな
考えろ
物事の両面を見て
心(魂、精神)の鎖を破れ」
そんな言葉が、多感な18歳の僕をとらえ
これまでも変わる事無く存在しつづけています。
迷い前進する子羊ですが
道を求める誰かが、心の鎖を切ろうと
世の中のどこかで
この事をつづけているんですね。
僕の辛抱
2時間も人前で演説
とても辛抱たまらんということ
名字に違いなしということ
講演弁者はテレビでお馴染みの「辛坊治郎氏」
さすがに、喋るを商売にされておられるので、2時間近く
5、600人を退屈させない講演は、流石といえました。
しかも、情報社会と経営についてメディア側から話せと言われていたらしく
結構、無茶振りだったろうに、つらつらと芸能界の裏話も交え
上手にお話されておられました。
2時間の講演
本当は大体10分で済んだ話だったと思います。
なぜなら
話の要点が
「重要な情報は常にどこにでもある情報で、それは常に目の前にある。
しかし、その先にある何かを読み取れるかどうかが重要。
人は目に見えるものを信じ、耳に聞こえるものを信じ過ぎるから
さまざまな角度から物事を見、聞こえる意味から聞かせたい意思を探り
その見える聞こえる束縛から未来を予測せよ」
ということだったからです。
その他の話は横に置いておいて、話の要点だった内容は
僕が高校生の頃から追いかけ続けていることでした。
当時、流行していた
ハワード ジョーンズの「new song」という歌。
日本では80年代シンセサイザーポップスという感じで流行しましたが
その歌詞のサビの部分を聞き、衝撃を受けた事を今も覚えています。
「Don't crack up
Bend your brain
See both sides
Throw off your mental chains 」
英語が堪能な訳ではありませんが
「だまされるな
考えろ
物事の両面を見て
心(魂、精神)の鎖を破れ」
そんな言葉が、多感な18歳の僕をとらえ
これまでも変わる事無く存在しつづけています。
迷い前進する子羊ですが
道を求める誰かが、心の鎖を切ろうと
世の中のどこかで
この事をつづけているんですね。
僕の辛抱
2時間も人前で演説
とても辛抱たまらんということ
名字に違いなしということ
愛し愛されて生きる
以前「経験、知識」というカテゴリーで
虚と実について書いたことがあります。
虚実①
虚実②
虚実③
この時は営業上の手法として述べたものですが
今日、たまたま一緒になった取引先の人と話した中でこの虚実について思い出しました。
企業に勤めるサラリーマンとして
「功を成したい自分」が実であるとすれば、いったい何の「虚」をもって毎日生きているのか?
という話になり
一瞬、その方は言葉が詰まりました。
以前のブログでは「引く」ことの「虚」について述べてますが
雇われて、会社の方針、指針で動く中での「押す」中の「虚」
禅問答のようですが
「虚」と思われる中での「実」、その先の「虚実」ということは述べていませんでした。
一流企業に勤め、20年は
彼の中にある先端を鈍く丸まらせていたはずです。
自分は何のために生きているのか、何をしたかったのか
振り返れば永き時間と、いつの間にか先人となり
若き日に自分が想像した未来だったのでしょうか
今日、この虚と実
踏み込んでなお「虚」
押して前にのめる「実」の中
例えるなら1cmに満たない距離の「永遠」を垣間みることとなったようです。
わずか1cmされど1cm。
猛スピードのトラックを
1cmでもかわせば無傷、しかし1cmでも当たれば致命傷という質量が与える様な問答に
いくら考えても明確な答えは出なかったようです。
それはそうでしょう
そういう、会社社会という世界観の中で考えるから。
しかしながら、その虚実の扉を開く時
僕に言える虚実
それは愛し愛されて生きること
僕は、人は、それによって初めて生かしてもらい
人という足場なくして押すも引くもないということ
虚と実について書いたことがあります。
虚実①
虚実②
虚実③
この時は営業上の手法として述べたものですが
今日、たまたま一緒になった取引先の人と話した中でこの虚実について思い出しました。
企業に勤めるサラリーマンとして
「功を成したい自分」が実であるとすれば、いったい何の「虚」をもって毎日生きているのか?
という話になり
一瞬、その方は言葉が詰まりました。
以前のブログでは「引く」ことの「虚」について述べてますが
雇われて、会社の方針、指針で動く中での「押す」中の「虚」
禅問答のようですが
「虚」と思われる中での「実」、その先の「虚実」ということは述べていませんでした。
一流企業に勤め、20年は
彼の中にある先端を鈍く丸まらせていたはずです。
自分は何のために生きているのか、何をしたかったのか
振り返れば永き時間と、いつの間にか先人となり
若き日に自分が想像した未来だったのでしょうか
今日、この虚と実
踏み込んでなお「虚」
押して前にのめる「実」の中
例えるなら1cmに満たない距離の「永遠」を垣間みることとなったようです。
わずか1cmされど1cm。
猛スピードのトラックを
1cmでもかわせば無傷、しかし1cmでも当たれば致命傷という質量が与える様な問答に
いくら考えても明確な答えは出なかったようです。
それはそうでしょう
そういう、会社社会という世界観の中で考えるから。
しかしながら、その虚実の扉を開く時
僕に言える虚実
それは愛し愛されて生きること
僕は、人は、それによって初めて生かしてもらい
人という足場なくして押すも引くもないということ