愛し愛されて生きる | ~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔

愛し愛されて生きる

以前「経験、知識」というカテゴリーで

虚と実について書いたことがあります。
虚実①
虚実②
虚実③

この時は営業上の手法として述べたものですが

今日、たまたま一緒になった取引先の人と話した中でこの虚実について思い出しました。


企業に勤めるサラリーマンとして

「功を成したい自分」が実であるとすれば、いったい何の「虚」をもって毎日生きているのか?

という話になり


一瞬、その方は言葉が詰まりました。


以前のブログでは「引く」ことの「虚」について述べてますが

雇われて、会社の方針、指針で動く中での「押す」中の「虚」

禅問答のようですが

「虚」と思われる中での「実」、その先の「虚実」いうことは述べていませんでした。


一流企業に勤め、20年は

彼の中にある先端を鈍く丸まらせていたはずです。


自分は何のために生きているのか、何をしたかったのか

振り返れば永き時間と、いつの間にか先人となり

若き日に自分が想像した未来だったのでしょうか



今日、この虚と実

踏み込んでなお「虚」

押して前にのめる「実」の中


例えるなら1cmに満たない距離の「永遠」を垣間みることとなったようです。

わずか1cmされど1cm。

猛スピードのトラックを

1cmでもかわせば無傷、しかし1cmでも当たれば致命傷
という質量が与える様な問答に


いくら考えても明確な答えは出なかったようです。



それはそうでしょう


そういう、会社社会という世界観の中で考えるから。


しかしながら、その虚実の扉を開く時



僕に言える虚実

それは愛し愛されて生きること

僕は、人は、それによって初めて生かしてもらい

人という足場なくして押すも引くもないということ